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zoom RSS 『亡国のイージス』 by 福井 晴敏

<<   作成日時 : 2005/07/09 18:44   >>

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『亡国のイージス』 by 福井晴敏
今日の読了報告。まず、この物語のテーマはなにか?舞台は日本、登場人物も日本人。しかしながらこれを読んでいる私たち日本人は一体なんなのか?日本人とは何か?日本が何を求め、どう歩んできたのか?そういった謎(疑問)がひとつの要であると思う。惜しむらくはそのテーマに対して問いかけだけで終わってしまっているということだ。いや、私が浅はかなだけかもしれないが。
私たち日本人は「民族」はなくても「民俗」はある、という話を聞いたことがある。風習や芸術など、文化的な「日本」という型はあっても人種的な「日本民族」は判別しにくいというのだ。確かに、これは一理ある、というよりあったのだろう。しかし戦後その民俗的な日本性は薄らいでしまったように思われる。我々日本人はどこから来て、どこへ行くのか。島国であったことも手伝ってか、日本人は民族的主張をせずに、一民族としてこの日本で収まってきた。他民族の介入なく続いてきたこの日本が、「どうあるべきか?」という日本の指標・理想を今更かがげるというのには無理がある。
敗戦し、戦後アメリカの傘下影響の下日本は独自性を失った、という意見はよく耳にするが、私はむしろ、戦時中の一致団結した狂気こそ、民俗性を失わせた(忘れさせた)一因ではないかと思う。戦争という名のもと、あらゆる娯楽・文化が奪われ、洗脳状態の日本が失ってしまった「日本人」。
空っぽになった日本に、敗戦と他国の介入が流れ込む。そうして日本は自身を見失ったまま、道なき道を「なんとなく」歩いてきてしまった。結果残されたのはなんだったのか?消失感。
人間は大きな絶望・消失感を抱いたとき、結局あれは何だったのか?と振り返る。
結果がでて、初めて因果(原因)を探し、その意義・意味を求める。現状に憂えて、せめて何か意義があったはずだと、存在意味を求める。 この物語でもそうだ。
あの戦争を超え、日本人が求めたものは何だったのか?我々が持っていた、守ろうとした日本とは一体なんだったのか?
我々日本は、どこから来てどこへ行くのか。
これは私たち日本人がこれから、おそらく永久に求め続ける疑問である。

亡国のイージス
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