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zoom RSS 妖怪 『妖怪大談義』 by 京極夏彦・篇

<<   作成日時 : 2005/08/03 19:35   >>

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今をときめく有名人がずらりと並んだ対京極氏の対談集!待っていましたとばかりに買った。読んだのも随分前になってしまったが、この辺で『巡礼』に加えて民俗学、ことに『妖怪』についてのカテゴリーも作ろうと思い、今日書き出した。
『妖怪大談義』まったく始終妖怪のことばかり話している対談集である。実にさまざまな方々が京極氏と妖怪について対談し、議論討論を重ねている。かと思えば笑い話のノリだったり雑談だったり。
学問的な問答と、通俗的な会話とが混在していて読むものをあきさせない。これぞ妖怪の容貌そのものではないかと思った。 一貫して京極氏が気にかけていることの一つに学問上と通俗上の『妖怪』の区別・齟齬についてがある。いまだに定義されがたい『妖怪』という言葉その姿に一番困るのはまさしく京極氏のような両世界を併せ持った方なのではないかと、改めて思う。
妖怪は人が存在して初めて必要に応じて「作られる」存在である。人の知への欲求を満たし、不可思議なことを打ち消すために「名づけ」ることで作り出されたのが妖怪である。これが京極氏の見解。妖怪は人間社会が出来上り知能化して、初めて生み出されると言っているように、妖怪はあくまで都市(江戸以降)の副産物。さて、ここからは私の解釈。
都市化というよりは此岸(人間の世界)にはっきりとした輪郭が出来たとき、それ以外のもの(化外・異人・異界のモノゴト)に説明がつかなくなる。だから今まで異人のようなどちらともつかぬものに押し付けてきたモノゴト(摩訶不思議)を妖怪という新しいモノに背負わせた。名前をつけて不思議を理解した気になり、安心を得る。古来〜中世まで異人も放浪者も健在であり、村や集落は孤立していたし、外界から来るものは得体の知れないものであった。(マレビト) だからそれらは人とも異界のモノとも神霊とも言うことが出来たし、どちらとも区別がつかないものをそのまま放置することが出来た。いや、するしかなかった。 しかし時代は下って江戸。全国が統治され、たとえエタ非人とはいえ、あらゆる下層民まで「人」として数えられ戸籍が作られた。ここで人間界における両義性を備えたキャラクターが消滅するのである。それでも理解不能のことはまだ残る。しかしそれを背負ってもらえるモノがない。だから彼らは作ったのだ、「妖怪」というモノ・システムを。
都市という「囲い」がマージナルな両義性を備えたモノを駆逐してしまった。だから手近なものをどんどん妖怪化してあらゆる恐怖や不安の要素をこっち側のモノに引き入れつつ人間外のモノに仕立てた。たとえば器物の百鬼夜行。アレは技術が急激に発達した江戸期にその脅威に怯え反動的に作り出されたキャラクターだという指摘を聞いたことがある。それならば近くアトムのようなロボットすら妖怪化してしまうのではないかと思う。日本人はアミニズム、あらゆるモノに霊が宿るという信仰があったのだとよく耳にする。そうした底辺があり、技術や科学への脅威があり、また同時に童話がそうであるように「戒め」的な需要も入り混じって妖怪が発生し、娯楽と想像力のパワーによってそのキャラクター化は進んでいく。こうなると通俗以外の何者でもない。
学問的に「妖怪」を分析するならばその発生源や動機、要素や背景が求められ、何のために存在したのかという定義分析に奔走しなくてはならない。が同時に妖怪は通俗としての、もっと大衆的で観念的な、進歩し続けるでもある。発生理由を必要としないものすら存在しうる。メディア上にあるポケモンのような妖怪と、文献や書物の中に残る妖怪という概念と、妖怪のような人間と。
ただ一つ気をつけなくてはいけないのは、京極氏の言うような人間に作られた妖怪はあくまで現在の視点から見た、今認識されている「妖怪」であるということ。江戸以前、かつて古くは妖怪は「モノ」であり「コト」であり、あらゆる不可思議な事象すべてを包括していたのだという。
すべてのことが細分化されカテゴリーに分類され、辞書に載せるように「カタガキ」をつけられることが要求されるのが人間の進歩であるとすれば、「妖怪」はますます肩身が狭く限られたものになってしまうだろう。
 定義は「そのモノゴト」を名詞化し存在させるが、同時に大部分を削り取る作業でもあるのだ。
「妖怪」を学べば柳田國男を避けることは出来ない。彼による定義にたんを発し「妖怪」はまず学問上に一つの項目に挙げられた。彼の見方に傾倒した者が多いことと思う。神の零落した姿=妖怪。なんと甘美な響きだろう。しかしこれに酔っていてはいつまでも柳田の定義した学問上の一つの妖怪像しか見ることは出来ないのである。
今やその同じ学問上にすら、「妖怪」についての定義があふれている。 さらに妖怪はメディアに、漫画に、小説に、あふれかえっている。
かつての学問上の「妖怪」が過去の遺物の痕跡を探る遺跡発掘であるとすれば、現行の妖怪についても研究されなければならない。だからこうして、妖怪を探る項を上げたのである。

京極夏彦対談集 妖怪大談義
京極夏彦対談集 妖怪大談義

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