■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 『光の帝国 常野物語』 by 恩田陸

<<   作成日時 : 2005/08/05 13:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

常世の国、から『常野』を見てきた。これで『常野』が光の帝国であり、彼ら常野の子孫、子供たちが不思議な能力を持ち散っていったというモチーフの理由が分かる。すべて常野の国から来た光り輝く小さき神、少彦名神を下敷きにした物語なのである。ただこの子たち(常野の民)は特殊能力をもちこそすれ、決して力強くもなく、表面化してきたわけでもない。ひっそりと世間に溶け込み転々と彷徨する。「権力を持たず、群れず、常に在野の存在であれ」という意味の『常野』。
彼らの祖先はみなバラバラに散って行き、息を潜めて隠れるように生きてきたのだ。
しかし昨今何かの必然によって、何か大きな抗えない流れによって彼ら光の子は収束に向かっているという。すべてが最初から組み込まれた流れ。
「光の帝国」の「お祈り」はそれを端的に示唆している。
 ― そういう風にずっとずっと前からきまっているのだ。・・・いつかこのまばゆい光の生まれたところに、みんな手をつないで帰ろう。 ―
その「いつか」が一つ実現したところで本文は終わっている。これは一つの集会に過ぎないが、しかし「いつか」その日には一族が光の子達がこの常野に手をつないで戻ってくる、そう信じているのである。戻るべきところがある、かえる場所がある。それは私たち誰もが求めてやまない安息の地であり、出発点でもある。それは帰郷をどこか期待する、「望郷」の概念と似ている。
表(おもて)世界に少しづつ進出してきた彼らの様子も伺える。常野への一族の収束は、もしかしたら新しい時代に改めて進出するための仕切り直しかもしれない。逆にこれからさらに表へ進出しても帰る場所が、光の国があるという、自分が生まれるべくして生まれたのだという理由、大元の光があるのだという確認かもしれない。スターと地点の確認。いつかまた戻ってこられるようにと。
それは何かのために出発し、目的を果たし、必ず帰ってくるという巡礼に他ならない。
最後の言葉「ずいぶん遠回りしちゃったね」
彼女を含めて光の子達はみな、ここに辿り着くまでに、常野に戻ってくるまでに、随分遠回りしてきたのだ。
彼らがなぜ、何のために存在したのかなどという疑問は残る。 しかしそれを追い求めるのは野暮ではないかとも思う。 何しろこれは小説だ。 彼らは存在し得ない。もちろん「存在したとしたらこんなだろうな。」という感傷文学でもあるまい。
むしろだれにでもある「帰る場所」への帰還、共に行き、共有しあうものたちの共有する地への愛慕。
そうしたものを感じればそれで良いのではないか。そう思うのである。

光の帝国―常野物語
光の帝国―常野物語 (集英社文庫)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
『光の帝国〜常野物語〜』 恩田陸
おすすめ度:☆☆☆☆ ...続きを見る
vivi書店
2005/08/10 00:36

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『光の帝国 常野物語』 by 恩田陸 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる