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zoom RSS 『銀の兜の夜』 by 丸山健二

<<   作成日時 : 2005/09/17 01:35   >>

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己の中のもうひとつの自分との葛藤。そういってしまえばそれまでかもしれない。
一応ミステリー仕立てになってはいるが、これを読んでいて真犯人が主人公のほかにいるとか、トッペルゲンガーの仕業だとか、河童がやったのだとか考える読者はまずいないだろう。野暮である。
主人公は山奥鄙びた田舎にうもれながら、常に「自由」を求めてやまない少年〜青年である。
ある日海から引き上げた「銀の兜」。その日を境に、父が死に、母が死に、住職が死に、「私」は自分の分身と河童とを見るようになる。怪奇とも幻想ともいえるストーリーであるが、彼を取り巻く存在すなわち野心にみちた兄、抵抗を不可能とする権力の権現である米軍基地、見捨てられたようにただ存在するだけの田舎漁村、そういった現実がおいそれと幻想の世界にほうっておかない。
結局この銀の兜は己の中にある凶悪なまでの欲望を起動させるスイッチである。
父も兄もその兜をもってかぶり、意気揚々に野望へと、危険へと突っ込んでいく。そして身を滅ぼすのである。
人間には従わせなければならない「もうひとつの自己」があり、同時に求めるものにも2面性がある。
この兜は、その2面性をさらけ出し、二者択一を選ばせる、いや、むしろ凶悪な道へと呼び込むのである。
彼にとって求めるものは自由であり、己の中で完結する自由と、他者を排除することで手に入れる自由とが交錯し、兜は言う。「殺せ、敵を殺せ」と。
河童は、何者にも支配を受けずただひっそりと1人で生き、かつ山の沼と同化し共生する「自由」の権現であると私は思う。
彼が最後に選んだ「自由」はそのまま己の本当の自分である。
少年期とは誰でも一度は「自分が何か特別な存在である」と陶酔するだろう。
何者からも解き放たれた、衆生とは一線を引いた、特別な人だという幻想。
自分の中のもう1人の自己とは、そういった特別な存在であるという自負に後押しされた欲望むき出しの姿ではないだろうか。
「私は特別な選ばれた存在なのだから、必要悪は実行すべし」という甘え。
その幻想に打ち勝ち、本当の自己を取り戻すまでの長編作であったと思う。

銀の兜の夜
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