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zoom RSS 『蒲公英草紙』 by 恩田陸

<<   作成日時 : 2005/10/11 00:58   >>

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前作『光の帝国』に続く常野物語の続編、ということで楽しみにしていたのですがなんだかもっと別のものを読んでいる気がした。
物語の中心をなすのが地主?の旧家のお嬢様「聡子」と、その話し相手を務める少女「峰子」、そして彼女らを取り巻く時代と新しい時代の波。
時代は戦前とはいえ、露西亜に対する敵愾心や日本という国に尽くそうとする精神、その一方で外国の真新しい文化が輸入されめまぐるしい時代の変化が押し寄せている頃。
日本を愛する人と新しい時代=「にゅーせんちゅりー」(NewCentury)を賞賛する人。肖像画に比ゆされる日本と西洋の違いは、もちろんこれだけで全てを判断するのは軽率だが、とても感慨深い。日本画(肖像)がその人の歴史を物語るのに対して、西洋画はその人の今現在を写し取るという視点は、そのまま常野の人々の存在意義に相当するように思う。とすると、常野の民は日本という歴史、日本に生きた過去から今、そして未来へと続く歴史を記録し伝え続けるための存在なのだと気づく。
けれど、彼らの存在はただ特殊な、書記官のような存在ではない。
彼らは人間の、日本人の、先祖から祖先へと歴史をつなぐあり方そのものの具象化した姿なのだ。

光比古が聡子の死後、彼女の最期の想いを残されたものに伝えたシーン。
それは聡子が「私は確かに生きたのだ」と、精一杯村のために、子供たちのために、大切なもののために尽くしたのだと全身で証明したことを皆に伝えるという彼らの大きな指名・仕事となった。
そして光比古が峰子にいった言葉が私たちにのしかかる。
「別に不思議じゃないよ。本当はみんな持っているんだ。」
「峰子さんだって同じだよ。みんな一緒につくっていくんだよ。そうでしょ?」
彼ら常野たちの存在意義。それは形を変え入り混じり常に変化する時代の大きな流れの中にある私たちをちょっと離れたところから見守り、過去から現在、未来へと繋ぎ、伝えるということ。
しかしそれは本来私たちがみんな持っていた心なのだと、そう思わせるのだ。
    「本当はみんな持っているんだ」
本当は、誰もがみなその流れの中の一つであり、一人は皆、皆は一人と繋がりあい、この国に生きている。お互いがお互いの歴史の一部であり時代の一部であるということ。

前作が常野の民の様々な生き様を紹介し、様々な人とのふれあいを描いていたのに対して今回の『蒲公英草紙』に登場する常野は春田家一組だけである。しかしその存在意義を余すとこなく語っていると思う。次回作では前作の問い、「なぜ、今常野の一族が集結しつつあるのか?」に焦点を当てていくのではないかと思う。期待大だ。
蒲公英草紙―常野物語
蒲公英草紙―常野物語

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