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zoom RSS 他人か、分身か? 母の娘、娘の母

<<   作成日時 : 2005/11/04 01:57   >>

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先日、会社の同僚(といっても10才以上も年上のおば様だが)と雑談をしていたときのこと。
その人Sさんは非常に子供と仲の良い家族らしく、会社で家族の写真を(in携帯)見せびらかすような親ばかっぷりなのだが。
 Sさんは本当に子供が好きらしい。いや、自分の子供を好き・・・というか愛するのはごく当たり前のことだろうけれど、こう、あからさまに
「子供を大切にしてます、愛しています」っていうのを全面的に出されると・・・
わたしはどうにも引いてしまう。
ああして会社で親子の写真を見せて回るあたり(いや、一度や二度ならいざ知らず、2、3日に一遍の割合だから脅威なのだ) 正直あきれてしまう。
よく「私たち結婚しました」みたいな結婚式場の写真や生まれたばかりの新生児(赤ちゃん)のドアップ写真を「年賀状」にして送る人がいるけれど、実はあれも私としては異常に見える。
不愉快、とまでは行かないがあの神経が理解に苦しむ。
ああいうのをみて、だから何?年賀状とどう関係あるの?と言いたくなるのは私だけか?

まあ、それはともかくとして。 最初に戻ろう。そのSさんが先日言い放った言葉が
「子供は母親の分身よ。当たり前じゃない」   というものだった。
ショックだった。というか、そんな言葉を平気で自信たっぷりに言い放てるこのオバサンを、恐ろしくすら思った。『分身』ということばは、少なからずあまり良い表現とは思えない。
自分の人生と同じように生かせようとする親、逆に自分のように放って欲しくない(自分のなれなかった人生を歩いて欲しい)という親、そういった「子供に自分の夢なり理想なりを押し付ける」親の象徴もしくは予備軍のような雰囲気をかもしている言葉ではないか?と思うからだ。
と、そのときも当然、私はそう思ったので正直にその旨をさらっと、チラッと言った。
Sさん曰く、
「もちろんそんな人生を押し付けるようなことはしないわよ、子供は子供の人生だもの」
だそうだ。矛盾だ・・・わけがわからん。 続いていったことには
「だけど分身には違いないわよ。親子だもん。」云々・・・
こういう心理は子供を持ってみないと、おそらくわからないのだろう。
ただそれでも一つだけ。こういう考え方が愛であろうと慈母の心であろうと、分身=何でも以心伝心わかりあえている仲だ、と思い込んでしまう可能性があるということ。
前回書いた小説『女友達の密度』でも再三書いた(つもり)だが、親子なら、家族ならなおさら、その人を理解できていないものなのだということを思い起こす。
私は以前、母に向かって「他人」という言い方をしたことがある。それはたんに他人=「自分以外の生き物(人間)」という程度の意味だったのだが、母にとってそれはとんでもない拒絶の言葉だったらしい。「家族を他人とはなにごとだ!」とさんざん怒られたのだ。
こういう言うことを思い起こしてみると私がなんの気なしに「他人」という言葉を使ってしまうのと同レベルで世の中の「母親」というものは平気で子供を「分身」と言い放ってしまうものなのかな、戸も思う。
なぜこんな親子の分身説?を言い出したかというと、これは今誰もがニュースでご存知の通り女子高生母殺し&ブログ掲載事件にその言葉があったからだ。
「母親に毒薬を飲ませ続けて氏に行くその日々の記録をブログにつづっていた女子高生」
あの事件の特集ニュースで、この被害者(母)が娘を自分の分身のように見ていた、という記事があった。そしてそれを一緒に見ていた母にこのSさんとの会話を話した・・・それがキッカケだ。

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