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zoom RSS 『おまかせハウスの人々』 by 菅浩江

<<   作成日時 : 2006/03/25 15:43   >>

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『雨の檻』以来ずっと読み続けてきた菅先生の作品の最新刊!『雨の檻』はもちろんのこと、『アイアム』、『永遠の森』などが私の中で大好きな作品だった。とくに前2者はテーマが重く、切ないものが多い・・・ああそういえば、どちらもロボットものだ!今気がついた。
日本のロボット物作品というのはどうにも暗く重い物が多いと思う。
アラレちゃんはともかく、アトムでさえ明るく軽い物では消してない。
どの作品でも、ロボットには未来がないのである。(もちろん一概には言えないが)
永遠の時間を持ちながら、彼らには将来がない。時間の経過はあっても経験がない、成長がない、命がないのだから。そこに人間の考える「かわいそうなロボット」像や、人間がロボットにあって欲しいと願う「ロボットの悲しみ=感情=精神=心」がフィクションに反映される。
ロボットにだって心はあるんだ、なんて話になる。アトムなんかはその際たるものだろう。
けれど、菅作品はそこに鋭い切り口があると思う。ただ単にそうしたフレンドリーなロボットを作ったり、ロボットの「心」の可能性をお涙頂戴の展開に載せてしまうということもない。
この最初の「純也の事情」なんかはまさにそれで、残酷なまでにロボットでしかない成長モニターロボット「純也」は、最後まで心を持つことはない。その代わり、希望の片鱗を見せてはいる。ロボットが人間になるとかそういった希望ではなく、主人公の人間が、自分自身にどうやって折り合いをつけ、ロボットと付き合い、生きていくかの希望である。あくまでロボットの可能性ではないと思う。ロボットが人間との生活で人間を経験し、学習し、成長していく。育てる人間と成長するロボットとの共同生活、家庭、「ハウス」がそこにはあり、子離れならぬロボット離れできない弱い人間が、ロボットを人間の子供として同一視して暮らしてしまうという安易な結末ではなく、純也をロボットであることをしっかりみつめつつ共に生きていく折り合いのつけ方、そういった結末がここにはある。私はこういうのが、好きだ。
だってそうだろう。単純にロボットが学習し成長する、心を持った個体でありえるという結論だったら、じゃあ人間は一体なんなんだ、となる。ロボットという機会の集まりが成長し心を持つに至るのだとしたら、脳味噌とAIとの違いはいったいなんなのか。人間の脳ってそんなものなのかということにならないか?
わたしは、ロボットには心が宿らないなんていいたいんじゃない。ただ、「おまかせハウス」にせよ、ナノテクのにせよ、この純也にせよ。人間が自分に心地いいように反応させる努力をするということ、彼を成長さえることで自分自身が成長するのだということ、そうした意味でロボットは常に人間の挑戦であり続けるのだということを私は再認識する。
  私たちは、「家族の肖像」を、どんな色に染めようとしているのか。近未来の日常を描く待望の作品集。
とあるが、果たしてそうかなぁと疑問に思う。
これは家族に限ったことではない。いや、家族の定義を緩め大きくするのならそうともいえる。
家族とは、常に自分と共に暮らす人、もしくはその場所である、とするならば。
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