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zoom RSS 永遠に眠る〜No5

<<   作成日時 : 2006/04/03 19:54   >>

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まずひねくれた眠り姫、私の生立ちから始めようか。
先にご紹介したとおり、我が家は父と母と10歳上の姉が一人の敬4人核家族。
「性は桜、名は富子、生まれも育ちもダサイ玉(埼玉県)」
なんて寅さん風の言い回しが出来るくらい、昭和初期の臭いがついた家庭で育った次女である。コレでも80年代、昭和初期どころか昭和の末期に生まれているのだから、普通そんな古臭い会話が出来なくて当たり前の世代だ。なのに「男はつらいよ」に限らず50、60歳のオバサンがする話題に大抵すんなりついていけるのは言わずともがな、そうした年代の父と母のもとに生まれついたからだ。

小さい頃は「物識りね」「何でも知っているのね」「若いのにしっかりしているわ」
なんて褒め言葉ももらえたものだが、仕事場で10も20も年上の上司に
「桜さん年さば読んでない?」とか「履歴書に嘘書いちゃいかんよ」
などといって笑われたときはさすがに恥ずかしかった。
なんと言っても父が好きな映画は植木等の「日本一の〜」シリーズと時代劇、母が好きなのは「男はつらいよ」、流れる音楽は演歌か歌謡曲、日曜夕方には必ず「笑点」、たまに借りてくる映画はいわゆる「名作」、ドラマもアニメもろくに見られない過酷な環境だった。
ちなみに私が覚えている中で初めて見た映画は『日本一の無責任男』だ。

両親の年代が私のクラスメイトの両親より一世代上なのだから当然といえば当然なのだけれど、世間一般、周りに合わせて桜家の文化が「進化」しなかったのは、きっと我が家の閉鎖的だったからだろう。
もちろん閉鎖的といっても近所付き合いがなかったとか新しいものを取り入れないとか、そういうことではない。むしろ新商品や新しい施設などが出来ればいち早く取り入れるし行ってみたりもした。ただそういうことではなくて、物事や製品ではない考え方や家のあり方、「家族とはこうあるべきだ」という家訓のようなもの、そんな堅苦しいものがいつまでも頑なに居座り続け、「昭和は遠くにならずなりけり」なのである。
我が家で取り入れられるものと拒否されるものの間に何が基準かなんていうのを言葉にするのは難しいけれど、唯一いえることはすべて父の判断基準が家の基準だということだった。
たとえば音楽。再生する機械=ラジカセは他の家よりいち早く最新のCDラジカセに切り替わっていくくせに、その機械で再生する曲は演歌なのである。
当時はまだあまり普及していなかったビデオデッキを購入しても、借りて見る映画は植木等であり寅さんなのである。
こんな風だから、姉はともかく私は友達同士の会話に苦労した。ドラマの話、漫画やアニメの話、今はやりのファッションやJPOP、何もかも私にとって未知の世界だったし、みんなの話す言葉はまるで異世界の単語ばかりだった。
幸いイジメや仲間はずれにされたことはなかったけれど、冴えない目立たない子だったに違いない。私がもし将来、新聞沙汰になったとしたら、報道陣のインタビューに彼らはきっと宏答えるだろう。
「桜さん?ああ、小学生の時そんな子がクラスにいたけど。あんまり覚えていないなぁ」
小学生のうちはまったくもってそんな感じ。
中学生にもなれば親にも反発するし長年の反動、リバウンドがあったから、それなりに自分で世間を開拓していったけれど、それでもきっと「ちょっとズレた子だった」に違いないのだ。

田舎に生まれて田舎で育ち、一世代前の時代を生きた田舎娘。
それが眠り姫の少女時代だった。

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