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zoom RSS 『黒と茶の幻想』 by 恩田陸

<<   作成日時 : 2006/06/25 01:43   >>

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かつての学生時代の同級生4人が、十数年の年月を経て、世間から離れたY島へ『非日常』の旅に出る。深い森林を抜け、山を登りゆく中で繰り広げられるのは彼らそれぞれの『過去』という森の物語。
同じときを共有していたはずなのに、流れている時間も、見てきたものも、感じていたものも、何もかもが各々違う。
わだかまりを抱えたまま『大人』になって、森を抜けた気になっていた彼ら。
4人にとってこの旅は封印されたままになっていた『過去』という『森』を開いて、もう一度向き直ることで過去の森を抜ける通過儀礼だったのではないか。

と、こんな堅い言い方をすると、のりが悪くなってしまうかもしれない;;
まず読んでいて退屈しない。こんなに量があるのにところどころに懐かしさを思わせる「友達」という存在との会話が、読者・・・というか私にはほほえましい。
とても自然な会話、とてもありえそうな挙手挙動、ごく普通な受け答え。
この本を読んでいると、主人公たちはかなり特殊な関係を持っている、メロドラマか何かのようなストーリーだが、実はどこにでも転がっていそうな話だ。

ただ、深層が明らかになるにつれ、男共はどうにも出来すぎたキャラクター仕立てだが。
4人に言えることは、誰もが皆、何かを欠いているということ。
彰彦が提案した「美しい謎」を解く旅は、そのまま彼ら自身の美しくなおざりにしておいた過去の一部、ひと時一場面だ。けれどその通過点を見据えない限り彼らは本当の意味で森を抜けられない。その意味で、私はここを、このたびの終着点である山頂を「通過儀礼」といいたい。

私としてはとてもこういう作品は好きだし、どの会話を読んでいても自分にも覚えのあるような懐かしさがにじみ出ていて、ほほえましい。
それだけに留まらず、しっかり根っこのところはドロドロした、確執を描き続けている。
読ませる作品、と、思った。
ただ一つ、けちをつけるならば・・・『永遠の仔』(by天童荒太)をなぞったような展開だったなと、ふと思う。あと『永遠の出口』(by森絵都)と。
たして2で割ったらこんな感じかなと(笑) もちろん構成が、ということだけれども。
しかし・・・最近の作品に「自分にも共感できる」とか「そうそう、そうなんだよね」と相槌を打ってしまうような場面がある、そういうものが多いのは、又売れているのはどういうことだろう?
お偉い方の分析に架かればきっと、
「最近の傾向として、他人の経験が自分と同様であることに、自分の自身のないことや自分が特殊かもしれないと思うところが他人にもありえること当たり前のことであることに安堵感をもつきらいがある」なんていわれそうだけれども。
そこんとこ、どうだろう?と私も思ったりするのである。
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黒と茶の幻想
黒と茶の幻想 (Mephisto club)

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