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zoom RSS 『凍りのくじら』 by 辻村深月

<<   作成日時 : 2006/08/19 19:09   >>

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やっと、辻村作品すべて読みつくした!感無量♪ 
辻村先生の文章は、なんだか自分に似ていて好きだ。加えて感覚が好きだ。
(私自身はたいして書けない人間だから、こんな言い方するのはおこがましいが)
よく書評で見るように辻村作品は、少年少女たちの危ういくらいな、脆くもある、
どこか取り繕わなくて入られないように毎日を生きている、あやふやな彼らが登場する。
だからこそ「ああ、自分もそうだったよ」とか「そうなんだよな」という共感を呼び、
読者が胸に突き刺さるような代弁をしてくれる存在にもなる。
(自分の心を代弁してくれるドラえもんの道具も確かあったような・・・?(笑))

SFをS=少しF=ナントカで名前をつける遊びを続けることで、自分以外の世界をカテゴライズする、名前をつけることで個性を付けて、顔を乗っけて「この人はこういう人」にする。
そうやって自分以外の「みんな」をSF(少しナントカ)に位置づけ、少しってあいまいにしておくことでいつも逃げ道を作っておける。
主人公はそうやって自分のSF(=少し・不在)に酔っている。
いや、酔っていることにも気がつきたくない。「みんな」の世界に登場できないでいる自分がもどかしくて嫌で、認めたくないから「少し」不在で安心しておく。

誰でも覚えがあるんじゃないか?というより、誰もがやっていることだったりする。
「あの人はちょっと・・・だよね。〜〜っていう感じで。ーーっポイとこあるね」は日常茶飯事。
日本人は断定を嫌う民俗だと言う。だから、「少し」は心地いい。

でも名づけることで安心する、という行為は何も日本人に限らない。人間万国共通だ。
脱線すると・・・お化けでも妖怪でも、わけ解らなくて恐い事象が起こると、人間はソレに名前をつけ、理解した気になって安心する。
名づけることは、対象を自分の世界の登場人物に仕立てる動作なのだ、と思う。
主人公リホコは自分が入っていけない世界の「みんな」をSF少しナントカと名づけて自分の側の世界に登場させる。そうすることで自分が世界に少し不在=少し存在することにしている。

私はこういう感覚をうまく書き上げる辻村作品が好きだ。
こういうところを突いて来る感覚が私に似ているなんていったら、SF=少し憤慨されるかもしれないけれど(笑)

流氷の中に閉じ込められて息も絶え絶えになっている凍りのクジラは、リホコ自身。
氷の中にいるかどうかも解らないで、なんだか毎日息苦しくしているのは私。
けれどこうした作品が出てくれることで、私に酸素を送り込んでくれる、いや、二酸化炭素を吐き出させてくれる。だからわたしは、SF=すごく、奮起していける♪

凍りのくじら
凍りのくじら (講談社ノベルス)

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