■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 『箱の中』&『檻の外』 by 木原音瀬

<<   作成日時 : 2006/09/02 11:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

檻の外
画像
前作『箱の中』の続きなのにどうして『箱の外』じゃないんだろう(笑)まあ、深読みはすまい。
前作からちらほら匂いがあるようにこの作品は人間性(というか愛)が欠けている、愛されることにも家族というものにも慣れていない『子供』である喜多川の再生の物語だ。
まあ、よくあるパターンとして彼の告白・・・たとえば「あんたに会って初めて生きた気がする」だとか、「愛することを知った」とかのセリフは一切ないし、そういうシーンもない。
また主人公・堂野もソレを哀れんだり悲しんだりするシーンも、それほどない。

それでも、だからこそか、読者である私はそこを想像し解釈し自分の中で育て上げる。
暗黙の了解、とでも言うのか。ソレが私には心地いい。かえって言葉にされないことがよい。
世間でのバッシングやら同性愛ということに関しての偏見や差別やらが殆どないこの作品。
考えてみればBLにつき物のそうしたトラブルは、既に眼中にないのだ。だからよい。

むしろ「トラブル」は喜多川の『欠けた』人生、そしてようやく見つけた愛する人・堂野への異常なまでの執着心・・・愛するということを突き詰めるとどういうことか、という点にある。
愛し愛されようということが命がけである彼の純粋な心が痛いくらいだ。

そして何より感動したのは後半。堂野の(モト妻の不倫相手による)子供が父親だと思って、喜多川と同棲する堂野の元へ訪ねて来る話、その後の彼の成長と彼らの過ごした夏・・・
書き下ろし短編ということになっていたが、コレがなかったらかなり失点だ。ソレくらいよかった。子は鎹とはよく言ったもの・・・って、ちょっと違うか。

最後に、彼が成人し結婚し子供が出来て・・・その子供は名前を圭太という。
喜多川圭の一文字を取った名前。『圭太』。このとき喜多川は死んでいる。
喜多川が(まだ堂野と結ばれていなかった苦悶中の頃)、死んで堂野の子供に生まれ変われば毎日家族として一緒にいられるという夢を話したことを連想した。
ああ、コレで喜多川は「家族」になったのだと、胸が熱くなった。

愛するということに重みを感じた、作品だ。
檻の外 (Holly NOVELS)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『箱の中』&『檻の外』 by 木原音瀬 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる