■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 『青の炎』 by 貴志 祐介

<<   作成日時 : 2006/10/22 18:05   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像今さら読了報告するのもおこがましいほど、知られた作品かもしれません。
あれほど当時話題になったのに読んでいなかったとは;; 読む時期を外した。
違和感を感じた。・・・というのも、今日のいわゆる青少年犯罪には当てはめられないものがあるからだ。はっきり言って、事件性も次元も違う

正直、今時自分の妹や母親を守ろうとして(どんなに腐ったにんげんであったとしても)父親を殺害する殊勝な?中高生がいるとは、思えないからだ。
それとも私が、家族思いではない親不孝なだけだろうか?実際、私は周囲から、とりわけ親から思いやりがないといわれることがしばしばある人間だ。だからそう思うだけかもしれないが。

無論、この少年が思いやりなんてなまぬるい「思い」から父親を殺害したのではないし、思いやりが動機なら人を殺してもよいというわけでは、ない。
が、彼が読者の同情なり涙なりを誘ったことを考えれば・・・また世の中に「情状酌量」などという言葉があることをふまえれば、犯罪は周囲の同情によって許されることになる。
この作品に限らず、勧善懲悪が主体となっている犯罪・ミステリーものは悪者の(これで言うとダメな父親の)心情や、そうなるまでのいきさつは描かれない。ページ数の都合もあろうが(笑)たいてい善=犯罪者がそうしなくてはならなかった経緯を、その心情の吐露から周囲の同情的な反応から社会的な反応まで多面から描かれる。そして読者は彼が悪者を「殺されてもしょうがない存在」と思うところから犯罪=殺人が始まる。まるで正義の鉄槌だ。
あの時はああするしかなかった・・・どこかの政治家の言葉じゃないが(苦笑) そういう認識を世界=読者が認めるとことから始まっている。 これがこの作品の「当時」だ。

これを今ごろ読んだ私がなぜ違和感を感じるかというと、犯罪者と世界の見解が当時の少なくともこの作品と、今現在のものとでは違うからだ。 と 思う。
最近話題の「DEATH NOTE」。主人公ライト(月)は自らを神とするべく、そして世界を平和へと導くべく、悪を排除する。次々と殺す。罪の意識を一切介せず始末し続ける。
彼の言い分には「言い訳」がない。追い詰められた理由も、動機も、こうするより他なかったというほかの選択を排除する形跡すらない。
つまり、犯罪をおかすまでの経緯がぶっとんでいる。よって世間の同情や感情や世論の介入する間がどこにもない。すべてはライトの「こうあるべきだ」「こうでなくてはならない」という「希望」「願望」でしかないのだ。 
「これしかない」と、「これでないとダメ」、というのでは天と地ほどの差があるのだ。
前者はこの作品の彼。後者はデスノのライト。そして現在の犯罪は、残念ながら後者が多い。
私は犯罪に理由があればそれでよいといっているのでは、もちろんない。
ただ、「こうあるべき」というのはあくまでも個人の「希望」なのであってやむを得ぬ理由ではない。情状酌量の余地無し、だ。汲むもなにも、汲むものがない。
どうしたものか、少年犯罪。これはもう、犯罪の理由など考える価値もない、ということか?

殺した相手が誰であるかは関係ない、殺したのが友であれクズ男であれ関係ない、人を殺したという事実だけが一生自分を攻め続けるのだと彼は言っている。
罪の意識といってしまうには軽いかもしれない。人を殺すと言うことの重大さを、彼は感じている、背負っている、押しつぶされそうになりながら生きている。
そうした重みを感じられる人間が、今少なくなっているのではないかと思う。
いや、むしろ社会・世界自体が・・・か。 
最近のミステリーに、殺害後の犯人の心理描写や葛藤が少ないことを残念に思う。
こうするしかなかった、から こうすべきだった への転換。
自己の欲望が先走る世の中になったということじゃないだろうか。
青の炎
青の炎 (角川文庫)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『青の炎』 by 貴志 祐介 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる