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zoom RSS 『雷の季節の終わりに』 by 恒川光太郎

<<   作成日時 : 2006/11/29 01:33   >>

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前作『夜市』が、処女作とは思えないほど引き込まれた作品だったので
今回もかなり期待していたのだが、正直言うと前作の方が(私としては)良かった。
しかし『夜市』に比べて短編ではない分、倍以上の長さの長編となったわけだが、
ダラダラ感やつまらなさは、ない。つまらないと言うよりなんだったんだろう?という
感じがしてしまうのだ。
同時進行の異界=パラレルワールドという意味で、『十二国記』に似ているなぁ・・・
とも思える設定だが、異世界と言うほどの違いがなくどちらも人間であり、形成社会も
さほど違いがないという点では『十二国記』よりもずっとコッチの世界よりだ。

パラレルワールドというより半分こちらと繋がっている・交易があるという点。
片方が強く、片方が隠れるように潜んでいるという点では『常野物語』に近いともいえる。
 (念のため。私は似ているからパクリだとかいう低レベルの非難をしているのではない)
こちらから隠れるように存在し続けてきた世界「穏」という存在は、私達が常に心のどこかで求め続けている逃げ場としての異世界でありながらも、パラダイスではない。
人間が求めて止まない、いわゆる桃源郷とは違い、「常野の民」と同じく彼らはどこか
暗い影を落としており、私達から見ると未開の民族風習を継続しているような非文明的な生活観を残しており、その大半がこちらとの接触を避けている。怖れている。
こうした世界『穏』『常野』が数多く描かれ、ヒットするのは何故か?

それは私達自身の自嘲する存在を反映しているからではないか?

穏の人間は自分達は神(天上人)であり、こちらの世界を下界と見下している。
しかしそれは、本当のところは「恐れ」から来るもの。関係を絶つという閉鎖的手段による保守。自己防衛ではないか。

私達も自分のプライド、力量、身の程etc・・・を誇示するため、あえて危険なもう一方とは
関わろうとせず無難な道、「避ける」道を通る。
自分の心の中でだけ、自分の利己心を、自尊心を大事に育てぬくぬくと生きる。

そしてまた、彼らの一部は他方の世界へ憧れ、出て行ってしまうものもいた。
しかし総じて失敗するか、成功して異世界の住人になってもいつか帰郷を望む。
人は必ず「古巣」を臨む。帰省本能とでも言うのだろうか?
人は、生まれついた世界でしか生きられない。そこから逃げるためにいくらもがこうと
別の地では生きながらることは出来ない、そんなきがする。

自尊心、利己主義の虜になりいつかそれに自分自身が喰われ、追い詰められていく
という点ではムネキの一生が代弁している。・・・これは『山月記』に近い。

いずれにせよ、コウ読み解いていくと非常に面白いテーマであり奥が深いと
感じ入るのだが、なぜか『夜市』ほどの感慨がなかった。
感動的な、というか泣けるシーンがなかったということかもしれない。
まあ・・・泣きたいためだけに読んでいるわけではないのだからそれはいい。
『夜市』に引きづられて読んだらちょっと雰囲気が違う、ということか。

しかし、なかなかに面白く読ませていただきました。

雷の季節の終わりに
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