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zoom RSS 『江戸の妖怪事件簿』 by 田中聡

<<   作成日時 : 2007/08/14 00:18   >>

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江戸時代の妖怪事例を紹介する本かと思いきや、とんでもない。
紹介は前半に留まり後半に行くにしたがって妖怪>死者>神>マガイモノとスポットを変え話題を変え、それらがどう我々日本人に解釈さえ共に歩んできたのかがまことに解りやすく分析され解説されている。
「江戸の」妖怪事件簿と題しているこの中に紹介された数々の妖怪は、今やその殆どが科学により証明できないという理由で「迷信」というくずかごに捨てられているように思う。
そもそも妖怪は人知を超えて理解できぬものに与えた名前であり、人々が安心するために自然と編み出した装置であったのだろう。つまり「恐さ」「畏怖」など内側から発生した感情を抑え理性を保つための制御装置であったのだと私は思っている。
かつてのこの国には確かに人を化かした狐狸の類が存在し、化かされることで折り合いをつけ共存してきた人間がいた。
しかし外国からの学問(朱子学)が次第に浸透し科学の萌芽が見え始める江戸期、それら不可思議なるモノは徐々に合理的説明を用意され恐れるに足らぬものとなっていく。
朱子学、神道、自然学、国学・・・それぞれのエキスパート達がその正体を説明し打ち勝とうとしてきた。そして面白いことに彼らは妖怪たちを理解の範疇に引き寄せこそすれ排除はしていないように思われる。時には権力として利用し、時には屈服させることで権威を示し、常にその理と利の方向は中央へと向いていた。

陰陽五行説から説明される彼ら妖怪は、すべて自然に存在する万物から変化しただけのものとして「何の不思議も無い」とカテゴライズされる。しかも「変化」で説明できないものに関しては何事にも普遍的な「常」に対して例外的な「変」があるから問題ない、とやんわり包む。このご都合主義だがなんとも懐の広い柔軟な解釈こそが、「解釈できない世界」をなくす抑止力となった、と著者は説明する。
きっと読者はこの後に続く外国からの文化流入による混乱すなわち「マガモノ」という妖怪に触れ、気がつくに違いない。
私達現代に生きる日本人には、「マガモノ」という「妖怪」に出くわした際に内側へと向かう理解力、解釈の懐が無いのだと。
すべてに普遍を求め例外を許さぬ狭量な現代人の理性。
勝者の霊のみを祭った靖国神社を例に挙げて著者は、死者やこの世の成り立ちという幽玄の世界に対する現代人の畏怖の欠如、感受性の欠如を指摘する。

かつてこの世の成り立ち、道徳を「こうである」と信じるために知識を求めた時代があった。
しかし現代はその逆ではないか?知識があり普遍的カテゴリーがあり、そこに無理矢理この世界を押し込んでいるのではないだろうか?

私は昨日、醤油入だとおもっていた瓶に新しい醤油を迷わず入れた。
次の日に醤油を使ったときに気がついたこと、それはウスターソース入に醤油を入れてしまったということだ。醤油とソースの絶妙な味に、私の舌はしばし麻痺した。
今を生きる日本人が外国よりのマガモノに化かされているのだとしたら、ソースに醤油が混ざるどころではすまなくなるかもしれない。 あな、おそろしや。
江戸の妖怪事件簿
江戸の妖怪事件簿 (集英社新書)

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