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zoom RSS 『ミヨリの森』によせて

<<   作成日時 : 2007/08/28 01:11   >>

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画像駅張りポスターで、CMでネットでラジオで・・・あちらこちらで宣伝され期待していた作品。
なのにこの出来はどうだろう。正直ココまでつまらないとは思いもしなかった。
途中なんど録画を消そうとしたことか。一応批評するには最後まで、と思ったからみ続けたが。そんなわけだから以下の文章は批評というよりは非難に近いかもしれない。
なので、『ミヨリの森』を少しでも良い作品、と思った人は読まずに閉じて欲しい。

まず絵がかわいくない。単純な背景、鈍い動き、デザイン性の無いキャラクター。彼ら妖怪だか妖精だかヌシだか知らないが、どれもこれも彼らの顔と名前の奥に物語が何も無い。
おそらく設定資料を見せてもらったとしても、きっと名前と顔かたち以外何も設定されていないのだろう。
あくまで主人公ミヨリに受け答えする形、彼女の「周りに登場する」だけでしかない脇役。
『ミヨリの森』というより『森のミヨリ』の方がしっくりくるんじゃないか?と思うくらいに。
みていてい一番最初にあきれたのが、ミヨリを田舎に残して都会へ帰っていく父の乗る車の動き、ナンですか。あれは。砂利(土)の上を走ってるというより地面上5cmを飛んで走ってるとしか思えない。手抜きにも程がある。
こういう田舎の絵をジブリという高級作品に目を慣らされているからかもしれない・・・が、それにしたって、悲しくなる。

続いてこの作品の伝えたかったことに対する批判をしたい。
そもそも設定からして、どうしてただの人間のガキ一人にいきなり守り神?としての資格つまり彼女の所有物として「ミヨリの森」が与えられたのか。彼女の両親が離婚騒ぎを起こしこの田舎に帰ってこなかったら、一生ヌシの無いままこの森は果てるつもりだったのか?第一なんでこの子なんだ?まったく意味不明である。
しかも「この森を生かすも殺すも人間次第」的なことを森の精霊モドキは自ら語っている。(というより、番組制作者に語らされている) 森=自然ひいては地球が、人間次第でいかようにでもなる、人間にその資格があると本気で思ってるのか?イイコであるかワルイコであるかは別として、一人の人間ミヨリが森の生死を決定して良いという極論にすらなる。
ものは言いよう、といわれるかもしれないが、あまりにこの言葉、「人間次第」というのは短絡的楽観的無責任に過ぎる言葉ではあるまいか?

ついでにあきれてしまうのは、都会から来た今時の子が、こんなにあっさりオバケ・妖怪・精霊モドキの「人外のもの」を認めるはずが無い。あまりにもみな、うろたえなすぎる。しかもとって漬けたようなあの水妖(男に振られて首をつって死んだという男嫌いの悪霊)。あれは何のために現れたのだ?どこの誰とも知らない関係の無い小娘ミヨリに蹴散らされるいわれなど何も無いと思うが?彼女の無念いかばかり?

「お前の森だ」と言われ精霊もどきに森を守れだのダム建設を中止しろだの頼まれ、「私の知ったことじゃない」と反論していたミヨリなのに、これまたいつの間にか正義の味方ぶってモノノケ姫よろしく衣装まで整えて密猟者達を追い返している。ここでダム建設の調査団たちを直接追い返す(化け物を使って脅す)ことをしなかったのは、おそらくまっとうな職業である彼らをアニメの中で虐待すれば、現実世界でそれを職業として生活している人々から非難の声が上がるからであろう。密猟者ならばいくらでも「こらしめる」ことが出来る。哀れ密猟者。本来ダム建築や調査団が受けるはずだった仕打ちを、彼らはたまたまミヨリの支配する森に来てしまったがために恐ろしい仕打ちを受ける羽目になったのだ。彼らにも家族も家庭もあるだろうに。

とにかくいろいろと、納得の行かない中途半端でマヌケな作品である。
こんなものをみて子供が悪影響を受けないことを切に願う。

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