■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 『家族の言い訳』 by 森浩美

<<   作成日時 : 2007/09/08 00:54   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
JPOPの作詞家が書いた家族の感動短編小説、と紹介されて正直最初はあまり期待していなかった。「どうせ今時のお涙頂戴っぽい軽いノリで歌詞みたいに短い「短編」なんだろ?」くらいにしか思っていなかったのだ。 ここに私は前言撤回する。私の涙と家族にかけて。

8編からなる家族を題材にした物語、どれもまったく繋がり無く人物も立場もてんでバラバラ。
共通するのは登場人物が「家族」を失ったり、見失っていたり、必死に探していたり・・・と、皆それぞれが家族の問題を抱えているということだ。
「家族の問題」それは(多くの人にとって)どの家庭にも誰にでもありうる、この世で一番身近な問題だ。幼い息子と心中すら考えて飛び出した母親、死なれて初めて夫に「道案内」をしてやれなかったことを悔やんだ妻、親子らしい交流の無いまま定年を迎えたホテルマンの父と、同じく家庭が上手くいかない息子が再びキャッチボールをする再出発のストーリ・・・
どれもこれも熱く、切なく、いとおしい物語ばかりだ。

著者の最初のコトバ 「言い訳をいちばん必要とするのは 家族です」 
「言い訳」について考えてみる。〜自己の事情を説明して、弁解をすること。〜 (by大辞林)
う〜ん、そっけない・・・がよくよく考えてみると、自己つまり自分自身に何があってどうなっているのかを説明するというのはある意味人生の恥さらしだ。どうでも良ければ弁解も言い訳もしなければ良い、それでも言い訳をするのは、なんとしても自分を解って欲しいと切に思う相手だからではないだろうか?
いいわけには二つあると私は思う。 
一つは、本当のことをわかって欲しくてひたすら事実を話し証明する場合。
もう一つは、どうしても本当のことを知られたくなくてひたすら嘘で事実を固める場合。
相反する「言い訳」だけれど、どちらも自分の相手(家族)に対する心を・・・真実を証明するためにねりだすものに違いは無い。
事実は一つ、けれど真実は人の数だけ存在する。私はこの言葉が好きだ。
人間は大切な人である彼(女)が傷つかないように、時には切実に時には都合の良い話をして、相手が自分の行為や事情に納得してくれるストーリー(言い訳)を訴える。
私はその訴える姿、その努力こそ、その相手に対する自己の真実だと思う。

家族は多分、この世で一番近くて遠い心の故郷。同属嫌悪もすれば安心することも、巣立つことも郷愁に浸ることもある。
「責める気持ちや疑う気持ちはすぐ手の届く棚にあるのに、思いやりや楽しかった記憶は特別な踏み台を使わなければ届かないような棚の上に追いやってしまっていたのかもしれない」
( 〜乾いた声でも。より)

踏み台があるうちはいい、棚に手が届くのだから。でも踏み台すらなくなってしまったら?それを手渡す相手がいなくなってしまったら? 忘れがちだが必ずいつかはおとずれる別れ。
そんな当たり前のことをこの本に改めて教えられた。
家族を大切にしようとか、思いやりを持とうとか、そんなことは私にはちょっと難しい(笑)
けれどこんな不器用な自分に特別な踏み台くらい、いつでも用意できるようにしておきたい。
そう、切に思った。

家族の言い訳
家族の言い訳

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『家族の言い訳』 by 森浩美 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる