■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 『ゴシックハート』 by 高原英理

<<   作成日時 : 2007/09/26 00:43   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
ゴスロリ、ロリータ、エログロナンセンス、そのあたりを一緒くたにして退ける人間が残念ながら多い昨今。これほど懸命にゴシック万歳を客観的かつ主観的に、噛み砕いて唱えた人はいないのではなかろうか。無論こうした分野の専門家による「研究所」や「論文」は別である。彼らは文化や精神論、ひいては宗教や哲学に結びつけてひたすら対象を微分積分、分析し、それがいかに世界に蔓延したか、どのような影響を及ぼしたかを声高に「発表」するのみである。
もちろんそうした論議や地道な研究とその成果が無駄であるとは思わない。それはそれである分野の人間には必要な研究であり、そういう土台が会ってこそこの高原による作品『ゴシックハート』もまた生まれやすかったのであろうから。
『無垢の力』『少女領域』と少々異端的なしかし非常に興味深い、自己愛について言及をしてきた著者、高原氏。戦後の文学に表象される少年処女たちのイノセンスな魂はいかなる時代の産物であったのか、氏はわかり易く編年体的に順序立てて私に示唆を与えてくれた。当時の私は興奮して読んだものだ・・・それほど熱い探求がそこには広がっていたのである。
そしてこのたび拝見した『ゴシックハート』。『無垢の力』には及ばずともやはり高原氏らしいテーマである。

まずゴシックというものがなんであるのか、という説明。少女漫画、ホラー映画、怪奇小説等を通して歴代のゴシックを築き上げてきた要素を紹介・説明する。
続いて「人外」つまり完全には人として存在できなかったモノたちからゴシックに接近する。これがなかなか面白い。
ゴシックの精神(ゴシックハート)とはここでは人間・日常・この現世界・・・つまり退廃した退屈なこの世を憂い、それらを超越した存在・場所へと至らんとする渇望から生まれるものとしている。より高みへ、非人間的な超人へというあくなき欲求や羨望が人の心には潜んでいる。それを閉じ込めずあからさまに求め続ける時、彼は人外のものとされる。ここではモンスターである吸血鬼ドラキュラやフランケンシュタイン(の怪物)などを例に挙げている。
こうしたモンスターは一見「招かれざる客」として認識されがちだがとんでもない、彼ら人外のものこそ、我々の意識の根底に潜む煮えたぎった欲望・・・いってみれば「こんなつまらない世界ぶっこわしてやれ」という欲望、非日常=ハレへの憧憬が生んだ産物なのである。
国が生まれ、政権ができ、「平等」が尊いものとして価値観までも均等化・統一化されるこの世の中で、私達はどこか息苦しさを感じているのではなかろうか?
有無を言わさず殺戮するモンスターや幽霊・怪物が創作される映画・小説・漫画・・・。
彼らはこちらの要求を一切受け付けず無差別に殺戮し破壊し、しかし最後には「こちら側」に滅ぼされる無残で悲しいモンスターたちだ。
私に言わせれば、彼らの出現は、狭く息苦しい不自由な水槽の中に退屈し「飛び出し」て「初めて泳いだ海の中」の『泳げたいやき君』♪である。 「とっても気持ちがいいもんだ」とおよいでみたはいいものの、海には危険がいっぱいで、どうすることもできずに気が済んだところでもとのタイヤキ屋の親父の水槽へと戻ってきてしまう。「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌んなっちゃうな♪」といってはみるものの、結局その温床で生ぬるい世界に生まれ育った人間には、帰る所がここしかないのである。しかも私なんぞはそれでもまあいいか、などと諦めている。しようもない。
高原はこれにとどまらず、さらに澁澤や江戸川乱歩などの文豪の作品をはじめ様々な点からゴシックを観察し語り続けている。
ココでは私が最も気に入った箇所を紹介したが、まだまだ魅力ある言及が続くのだ。
少しでも非日常的なハレ=ゴシックを我が物にしたい人、ぜひご一読。

ゴシックハート
ゴシックハート

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
『ゴシックハート』 by 高原英理 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる