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zoom RSS 『妖怪の理妖怪の檻』 by 京極夏彦

<<   作成日時 : 2007/10/06 21:28   >>

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いつも思うことなのだが、京極氏は生きた妖怪を観察し共に戯れる作家だ。
京極氏は作家であって学者ではない、だから好きなように(とはいえ学者ばりに丹念な材料と調理法を併せ持っているのだが)思うところを豊かに著している。民俗学者ではこうはいくまい。学者はその対象を調査しデータを統計するために、研究対象の「動かぬ死体」を解剖するのが不可欠だ。学問は動かぬ証拠を寄せ集め、動かぬ結論・解答を求め続けるモノだからである。
しかし京極氏をはじめ作家・物書きはどうか。彼らの書き著す対象はいつでも「今、生きているもの」である。そんなことはない、歴史小説や時代小説だって、未来のSFだってあるじゃないかと思われるかもしれない・・・しかし、それを著すのは今生きてそれを読むであろう現代人読者のためであり、書くのも読むのも現代世界に生まれ育った現代人である。
いつだって今日の我々の生活・視点・感情・環境との比較またはそのものでもって著されるのだから、今を「生きているモノ」が対称になるのは当然のことであろう。だから京極氏の書く妖怪は今を生きているのである。
妖怪という言葉、妖怪の成り立ち、歴史、近代における姿、怪獣やホラーとの違い・・・妖怪の認識にどのようなものがあるか、発生や認識のされ方など様々なパターンを隈なく提示し一つ一つを丁寧に紹介する本書をよんでいると、これは「妖怪の作り方」ではないかと思うことがある。今現在、妖怪を作るにはどうしたらいいのか?何が必要なのか?・・・必要とされているのか・・・?
妖怪には世間一般に使われる「通俗的な妖怪」と学術的に研究対象にナリ説明されてきた「民俗学的妖怪」があり、通俗的なつまり私達が妖怪と口にするときそれは「懐かしいもの」であると本書では語られる。
ノスタルジックな、郷愁をさそう、日本人が長い年月ともに歩んできた存在、妖怪。

私は縁あって大学で民俗学をかじり、本書で言うところの「民俗学的妖怪」を多少は理解してきたつもりだ。感傷的な捕らえ方や主観的な意見を排除し科学的に歴史的に、妖怪がどのように認識され「出現」するのか、そのネタモトとなった原因が必ずある、モデルが必ずいる、発生するべく要因があった、という了解のもとに研究が進められる。つまりあるはずの答えを捜し求めるのが学問であり研究である。
しかし答えが出ずともいいではないか。
私達は学者でもなく研究者でもない。民間人なのだから。巷説百物語をしていればよい。巷に溢れる妖怪を、温かく抱いていればいいのだ。それがいつしか郷愁をさそう妖怪となるのだから。

妖怪の理妖怪の檻 (怪BOOKS)
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