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zoom RSS 『戦う司書と恋する爆弾』 by 山形石雄

<<   作成日時 : 2007/11/29 02:09   >>

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ちょっと詳しい人なら「残留思念」なんてコトバを聞いたことがあるだろう。
その名の通り、人の強い思いがその場その物に残り留まることだ。そして多くSFやオカルト・ホラーやファンタジーの世界では、その思念の主がその場に居らずともメッセージを伝達できるための手段であったり、怨みつらみを強く抱きつつその場で死んだ主のダイイングメッセージであったりとその場その時にあわせて作中で使い分けられていく。
またいっぽう「記憶のカケラ」なんてロマンチック?な言い方もする。そもそも記憶なんていうのは形にすることは出来ないし、ましてやカケラ・・・のもととなる固形物すら存在しないのだが、それでも人は何とか形にして相手に伝えよう、残そうと努力し記録装置・記録媒体を作り出してきた。カセット、CD-R、ビデオ、遺書・・・いわゆるメディアである。
ただし。これらはみな「記録させる」ものであり、「記憶する」ものではない。その生き様やその思いを誰かが見て聞いて感じてそれを写し録る作業、つまり第三者が見た「一部もしくは一面」を編集したものが記録媒体である。 日記やエッセイなど自らの体験を書いたものはどうなるのかといわれるかもしれないが、それだって同じこと。現在(過去からすれば未来)の自分が過去の自分を思い出しながら覚えている部分・面だけを記録しなおしているに過ぎないからだ。記録は必ずしもイコール記憶ではない。記憶はどんどん褪せて抜けていくし、記録はだから、記録するたびに記憶に合わせて変化する羽目になる。
所詮記録は不毛なもの。それでも少しでも正確な少しでも質の良いものをと人は絶えず努力してきたし、これからもそうだろう。
それほどまでに残したいと願うのだ、人間は。
誰かにこの思いを伝えたい、あの人にこの私を見て欲しい、真実を皆に知って欲しい・・・
人は一人では生きられないし、一人では淋しすぎる。
作中イラ・ミアが言うように一人で生きているように見えても必ず自分を見ている人がいる。
だからこそ、その人に自分の生き様を知って欲しいと切に願う。淋しくないように、愛されるように、会うことが出来なければなおさらのこと。
そして本書に登場するメディア=本は私がこうして読んでいる「記録媒体」ではない。登場する本人、視点となる主役そのものが死に、化石となり、本となったものである。
最初に言ったように、よくSFなんかでメディアのスイッチを入れると3DCGのホログラムでメッセージが画像とともに流れ出るが、あんなようなものだろうか?
そんなありえない夢のような記憶装置=本を手にした殺人爆弾人間の少年が、本の中の少女に恋をしたことから物語は始まる。

劇中劇というか、その少女(姫様)の物語自体はさほど真新しいものではない。文章も簡単だしするする〜っと読んでしまえる作品ではある。
ただこうした「本」の設定と全体の運びと盛り上がりはなかなかのもの。
本をこよなく愛する私としては、こうした世界観に触れられたことだけでも読む価値があったと思う。シリーズ化しているとのこと、なかなか楽しみだ。

「ハミュッツ=メセタを、殺せ」―死者の全てが『本』になり、図書館に収められる世界の話。記憶を奪われ、胸に爆弾を埋め込まれた少年コリオ=トニス。彼の生きる目的は、世界最強の武装司書、ハミュッツ=メセタを殺すこと。だが、ある日手に入れた美しい姫の『本』に、彼は一目で恋をする。その恋が、コリオを更に壮大な争いに巻き込んでいく…。第4回スーパーダッシュ小説新人賞・大賞受賞、衝撃のデビュー作。

戦う司書と恋する爆弾 (集英社スーパーダッシュ文庫)
戦う司書と恋する爆弾 BOOK1(集英社スーパーダッシュ文庫)

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