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zoom RSS 『しゃべれどもしゃべれども』 by 佐藤 多佳子

<<   作成日時 : 2008/01/01 08:20   >>

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口から生まれた女の子だよ、お前は。 
そう親から何度となくあきられた私がこの本に共感したのはわけがある。

しゃべる、おしゃべりする、話す、語る、説得する、講ずる・・・書ききれないほどある。相手にものを言うということはこんなにも多くの種類があり、どれもこれも得意、という人はまれであろう。
私はその中でおしゃべりが苦手、というかどうにもいけてない(笑)
自分の頭の中で語りたいこと語るべきことが蓄積して、論文でも書くかのようjな小難しい言葉ばかり先行して浮かんでくる。そのくせいざしゃべろうとするとどこから話していいものやら整理整頓が出来てなくてそのまま伝えきれずに不完全燃焼するのだ。
まさにしゃべれどもしゃべれども。しゃべれども伝えきれないものが、私の頭の中に、ある。

たとえばこの主人公三つ葉は噺家(落語家)でありしゃべること演説することはお手の物だが説得するのも講ずるのもダメ、古典に固執して自分を見失い迷いから壁にぶつかりスランプだ。
十河は演説も演技も上手いのにおしゃべりが苦手で口下手で、振る舞いも下手で失恋した。
小学生・村林は生意気すぎてクラスでイジメられ、母親と意思疎通が出来ないため大阪弁を使い色々誤解されたままだ。
対人恐怖症でドモッて自分のことを何もいえないイトコ。口下手で態度が悪くて人相も悪いためにどうにもならない野球解説者。

彼らは誰もかれも自分自身に「良し」をやれていない、と三つ葉は気がつく。
「良し」の自分を見つけられない、それはつまり自分で納得できる自分がいない、わからない、というjことだ。自分自身が納得しない自分、自分自身が人にしゃべりたい言葉が見つからない。
それは道に迷い地図があっても自分がどこにいるかがまずわからない、というどうしようもない状態と同じじゃなかろうか。

彼らは色々あって、本当にいろいろあって、噺すことで少しずつ変わり・・・それはほんのわずかな変化かもしれないがそれでもほんのわずかでも進むことが出来た。
これはそういう物語だ。
どう進んだかではなく、まず進むことが出来たということ、自分の足場を見つけることがほんの少し出来たのだということ。それが私を感動させた。

そして。
そういった物語の主題もさることながら、非常に個性の強いキャラクター達が繰り広げるドタバタが面白い。何より三つ葉の、言葉にならないもどがしさを感じている場面が共感できる。
自分の気持ちに気がつかずに、何がなんだかわからないけれどとにかくイライラ、ソワソワ、ドキドキしている彼を見ていると、不謹慎だが面白い、そしてかわいい。

しゃべれどもしゃべれでも、自分の考えに感情に言葉はいつも追いつかない。
けれど問題はそこじゃない。
しゃべる相手がいるということ、彼(女)は私の言葉を待っているのだということ。
私の「しゃべり」を待っている人がいるということ。
それが、恋であったり友情であったり・・・とにかく一番大事なのだ。

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)
しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

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