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zoom RSS 『L change the world』を読むにあたって・・・デスノートと死神

<<   作成日時 : 2008/02/11 02:11   >>

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どうにも昨今、死神ブームだ。いわゆる大鎌を持って黒装束に包んだ骸骨が忍び寄る・・・といったありふれたイメージはどこにも無く、変わりに奇抜だったり人間じみていたり「良い奴」であったりするからもうなんでもあり。 
病気、寿命、戦争、テロ、飢え・・・かつて突然いやおう無く絶命する機会がいくらでもあった人間にとってその絶対的な死の狩人は「神」というだけの地位と畏怖を持って怖れられていたはずである。
たとえそれがファンタジーに過ぎないとは知っていたにしても、彼らはそれを神と呼び、人間とは隔絶したものとして認識し、死そのものを遠ざけていたと思われる。
しかし昨今の死神はどうだろう?まさしく「キャラ」だちし、愛嬌すら帯びている。私のイメージの中にある死神は映画『黒いオルフェ』に見るような、無言でユラリとたたずむ空虚な闇である。
今の死神にはそれが無い。死神が人間じみている・・・死が人間に近くなっている・・・ということではないか。

先に私は かつて絶命する機会がいくらでもあった人間にとって という言い回しをした。そう、かねてより「死」は身近なものであり、ある意味今以上に死にやすく死が身近であったに違いない。
だが、私の言う昨今の死の接近は、そういう「受身の死」の接近ではない。能動的な死、というのも誤解を招くかもしれない。戦争やテロなど、いくらでも能動的に人は死を与えてきた歴史が(今日に限らず)既にあるからだ。 
では、私の感じる昨今の死の接近とは何かというと。死、つまり殺人という行為がより積極的に行われ、時として死は手段や代替品のような「モノ」として認識されてきているということである。
戦争など起きれば人は自ら「お国のために」「愛するもののために」と命を差し出す。これは残る者にとって必要な死であり善良な死として認識されていただろう。(無論、強制された善良な死などありえないが。)
 病的な殺人鬼による無差別殺人、これはもう問題にする以前に「病気」なのだから論ずる意味も無い。論じようにも論じるべきは人ではなく病なのだ。 
また数年前流行のように連動し各地で起こった、いわゆる「キレて」突発的にあっさり殺人を犯してしまう者。これも病的には違いないが、殺人者らはあくまで個人的な感情で突発的に人を殺し、それに見合うだけの「理由」「動機」を後から見つける。理由無き殺人。殺人・死ということの重大さを理解できていないものにこうした行動が見られる。
これがエスカレートすると興味本位で「殺す」ことをしてみるようになる。「むかついたから殺した」から「殺してみたかった」 シンナーを吸ってみたかった、という興味本位での殺人。動機はあるが脆弱で考えの幼い、単純な殺人動機である。 彼らは多く「なぜ人を殺してはいけないの?」と口にする。
これについてはまた次回後述するが、こうした問いは多くの若者が一度は口にするのではないだろうか? 
そして社会現象にまでなった「デスノート」の夜神月による死の制裁。これも平たく言えば殺人だ。
彼の行った行為が良くも悪くもなぜこうまで人の心を打ったのか。
それは彼の殺人には明確な理由がありそれに見合う理論と哲学とがまず初めにありき、であったということだ。とって付けた理由でもなく、個人的感情でも精神的病でも、損益を量りにかけたゲームでもない。たとえそれがひとりよがり、陶酔であったとしても・・・彼は自らが神として世界に君臨することで自分の愛する者と善良なる人民による世界を築きあげようとした、その手段としての殺人を行った。
必要悪。これほど始末が悪く、そして絶対多数に必要とされる「善良なる悪」はない。

さて、死神の話から大きく飛躍してしまったが、要するに私が言いたいのは、今の日本における殺人・死への見解が、そうするだけの理由があって当たり前と、もしくはそれに見合う理由があれば許されると、そういう方向に来ているのではなかろうかということである。
殺人事件があると動機をやたらと知りたがる日本人。 犯人の生い立ちや時に悲惨な環境を放送したがるメディア。事件がおきた理由や動機をそうさせてしまった背景=社会に還元し、世直しの必然性を見え隠れさせたがる知ったかぶりの論者と、それを享受し納得する我々多数。
「嫌な世の中だよ」 「人間関係が希薄になったな」 「ニートとかわけ解らない若者が増えたから」
「不景気だからこういうことが」 「人事じゃないよ」
そうしたコトバが口々に出て、いつしか事件の標的は「こういう嫌な世の中」となり救世主を求めてしまう。 そう、夜神月のような、すべての悪を一掃し新世界を築いてくれるような、神を。

漫画「デスノート」に登場する死神は 人間は恐い生き物だ とこぼしている。
人間が・・・いや、人間という集団が、世の中にはびこる一番恐ろしい悪であり、又それを裁くのも人間であり善である。
善はいつ又悪になるかもわからない。人間という生き物が絶対的支配者を常に求め頼ってしまう依存型生物である限り、この連鎖は終わらない。



(デスノート)DEATH NOTEマスコットストラップ(リューク)
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