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zoom RSS 『ラットマン』 by 道尾秀介

<<   作成日時 : 2008/06/18 14:28   >>

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事実はひとつだが、人の数だけ真実は存在する。ミステリ、ことに法廷モノではお決まりの格言になっているこの言葉が本作品では改めて思い知らされた。
オプティカルイリュージョン、という美術用語をご存知だろうか。(見方によっては老婆にも防止をかぶった婦人にも見えるあの代表的な絵を思い浮かべる人は多いかと思う。) 人が「見る」ということは、目から入ってきたモノを脳で感知し時に都合のよい情報として処理されたものとなる。自己防衛、保身、バランス保持・・・脳は我が身を「あってはならないものから」守るべく
無意識のうちに改ざんされた情報を記憶として焼き付ける。
つまり今、私が見ている「コレ」は私の生まれてから今に至るまでの過去に裏づけされた、「私」という脳にとって都合よく処理された「コレ」の情報に過ぎない。「コレ」はこの世にひとつでも、人の数だけ「コレ」は存在しそれは見ている脳の所持者にしか存在しない「コレ」なのである。いわば「私」のフィルターにかかった色の付いたコレ、千差万別の角度からスポットを当てられて出来た影。どれひとつとして同じ色のコレも影も存在しないのである。
そしてそのズレたコピーは小さな錯覚や誤解を招き、時としてあまりに哀しい悲劇すら引き起こしかねない。

物語は今や社会人となった4人の、高校時代のアマチュアバンド仲間とその家族にまつわる過去がメインだ。
殺人者を思わせる主人公と中絶を目前に殺害された彼女、ひそかに関係を持った彼女の妹、友人たち・・・
まず過去。主人公の姉の死にまつわる父と母の隠した事実、死を目の当たりにした幼き彼、姉の見た夢と母のある行為・・・ここにも事実と家族人数分を掛け合わせた真実が複数存在し、互いの認識は破綻している。
そして現在、彼女の死。殺人のトリック云々よりも誰が殺したのか、という一点が最後の最後になって目まぐるしく転換する。
誰一人としてかみ合っていない彼女の死因とその隠蔽者が結局どこに落ち着くのか、最終章までそのイリュージョンは終わらない。 

先に人の数だけ真実が存在すると言ったが、彼らとその家族の頭数だけ真実が本書の中に存在している。ただしそれだけでは終わらない。なぜならその頭数に本書を手に取った「私」がそこにプラスされるからだ。
人は悲しいほどに弱く、その身を守るために非情なまでのエゴに左右された情報を真実の記憶として蓄積する。
そして真実と事実、過ちと正しさが同じ顔をしているこの誤解が渦巻く世界で、人はなにを信じて生きていけばいいのか。
だから、話そう。分かち合おう。彼が母にしたように、母が彼の名を呼んだように。

<AISBN:978-4334925932>ラットマン</AISBN>

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