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zoom RSS 『鬼神の狂乱』 by 坂東眞砂子

<<   作成日時 : 2008/07/08 13:04   >>

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人が狂うということと、鬼が、神が狂うと言うことはどのようなことなのだろうか。
人としてのソレは一過性の症状であり個人的な問題として判断されるが、神が狂うとなると話が違ってくる。
集団による狂乱は時に暴動と呼ばれ世直しと呼ばれ、歴史的にその規模によって一揆とされたり革命と位置づけられたりするが、突如勃発した予測不能の・・・本書のような狂乱は神や鬼のせいにされたりもする。

現状から解き放たれ、全責任と権利を放棄し、あらゆる物事から自由になると言うこと、それは現状を捨て新地を開拓するということにも繋がる。 今私たちの考える、通常誰もが求める自由とはかけ離れた処に位置するソレは、時にまったくの無法地帯で己までも放棄し裸でさらけ出すということでもある。それほどの覚悟があるかどうかは別として、人はそうした全放棄の先にある自由を求めてしまう弱い生き物なのだ。

異国の脅威、国政の混乱、庶民の窮乏・・・諸々のフラストレーションは積もりに積もり、ほんの些細な後押しで用意にはけ口を探して流れ出す。暴発する力、暴動、原因不明の狂乱を、昔人は狐狸や妖怪、狐憑きなどと名づけて片付けてきた。

突如勃発したとある村の集団狂乱。その原因が神か鬼によるものなのか、狐狸の類か逃散の目論見なのか・・・本書にはいくつかの視点でそれを解釈しており、最終的にどの解釈が真実なのかを絞り込んではいない。それは見聞きするこちら側の立場見識によって解釈され、後世の都合によって書き換えられる。そして同じようにカミが悪神なのか善神なのか、はたまた鬼なのか・・・神の喜びなのか怒りなのかそれもまた人のあずかり知らぬところであり、超自然的な現象や力、人知の及ばぬモノを「カミ=神」と人は言うのだろう。

本書の百姓たちの狂乱騒ぎには先祖の新地開拓と言う悲願も下敷きにある。
「われらの土地、われらの畑」 そう叫んだ先祖たちの喜びに満ちた鼓舞の声なのか、はたまた時代下って上階層によって土地を奪われた怒りの声による反乱なのか?
決めるのはそれを読み解く、今この現状この世界を生きる私自身なのである。
だからあえてこの狂乱の原因を突き詰めることはすまい。答えは常に今このときを生きる「私」によって神にも鬼にもなるのだから。

鬼神の狂乱
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『鬼神の狂乱』/坂東眞砂子 ○
果たして、坂東眞砂子さんは「はちきん作家」なのか?(←そんなこと気にしてるのは水無月・Rだけだ(-_-;)) 『パライゾの寺』では、そこココに土佐の香りをかぎつつも「はちきん」を断じるにはいささか足らず、と判断を控えておりましたが。 今回『鬼神の狂乱』で、結果はどうだったかというと・・・。 ...続きを見る
蒼のほとりで書に溺れ。
2008/07/08 22:19

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
空蝉さん、こんばんは(^^)。
TBありがとうございました。
いや〜、空蝉さんと私の文章、両方読んだ人は「これは同じ物語の話なの?」と思うんじゃないでしょうか(笑)。
いつもながら、空蝉さんの教養あふれる深い洞察の文章は、素晴らしいですね♪(憧れますが、きっとそこまで到達はできない(^_^;))
『鬼神の狂乱』は坂東さんの確かな筆力、そして舞台である土佐の国の底力を大いに感じる作品だったと思います。
水無月・R
2008/07/08 22:29
トラバリターン有難うございました。
にしても、とんでもない。私こそいつもいつも水無月・Rさんの文章力、あらすじをまとめる統合力に感服しております。私のは教養じゃなくて雑学ですし(笑) まだ『パライゾ…』とコレくらいしか読んでいませんけど、他のにも手をつけてみたいです。
空蝉
2008/07/09 13:29

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