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zoom RSS 『キャラクターズ』 by 東浩紀&桜坂洋

<<   作成日時 : 2008/08/12 10:45   >>

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この書評は書き難い。しかも書きおいておいた書評のメモを捨ててしまったから読み返す気・・・というか精神力も残っていないのでくそ真面目に長い書評は他の読者に任せることにした(笑)

そもそも構成を説明するのも難しい。まずあらすじ・・・はというと。

主人公=キャラクターとしての批評家・東浩紀。書き手=実在の批評家・東浩紀+ライトノベル作家・桜坂洋。
二人に与えられた武器は「キャラクター」という古くて新しい概念。
「私」とセックスと死を描く日本文学、その脱構築として。「自然主義的リアリズム」、その文学環境崩壊の中で。
主人公・東浩紀は、分裂し、暴走し、そして……。(Amazonより)

現実と作中の人物を交錯させいつの間にか現実と架空の境界があやふやになっていく・・・という構成なら他にも見る。
特にホラーやファンタジーの世界でだ。そしてそれが真面目な方向、つまり心理的、精神的に奥深いところに進めば進むほどファンタジー気の多いライトのベルからは遠ざかる。皮肉なものだ。
さて ところが、だ。本作は単なるリアル(R)vsフィクション(F)では終わらない。R1、R1・・・またF1、F2・・・と合わせ鏡のように「私」が増殖していくのだ。
もはや誰が現実か、どれが本物か、何が真実かなど意味を成さない。
ただ、そこに描かれている物語を読み感銘あるいは批判し自分なりの答えなりの「批評」を見つけられればいいのだろうと思う。
彼らはライトノベル出身の作家が一躍有名になり日本推理作家協会賞、三島由紀夫賞などを立て続けにとりライトノベルが「文学」という型に飲み込まれ回収されていくこの現実に起きた事件に衝撃と危機を覚え、それを阻止すべくこの物語を著した、らしい。
この小説の中に「リアル」として挿入し、更にそれを批評する作家と批評家とをリアルとフィクションの中に、現実の人物とキャラクターという形をとって登場させ、二重三重の仕掛けを舞台にしている。
彼らが言おうとしていること、薀蓄、キャラクターの「彼ら」が訴えていること、それは日本の文壇の歴史をアンチ的な目で見つめなおすことから始まっているのかもしれない。
どんな歴史にも発展と栄光と堕落と衰退がある。日本文学の歴史にもそれはもちろん当てはまる。
そうした話題を取りながら、しかし最も注目すべきは「私」である。

柄谷行人「探求T」を私は即座に思い出す。
あれを読んだときの感動とゾクゾク巻と衝撃と・・・が一気に思い返され、平凡な日常に埋もれ忘れかけていた自らへの、リアルな私への探求を改めさせられた思いがする。
「私」を定義するのは何か?誰が私を見、聞き、触れ、著すのか?真にこの世界で生きる「この私」、絶対的に動かすことのできない存在する「この私」と、ソレを認識する「私」と、認識されることで存在する「私」と・・・
合わせ鏡のように人の数だけ「私」はその人の中に存在し、増殖し続ける。
そう、まさに本作がその一端をえがいているように、だ。

なんとなく現実の出来事を情報として処理してしまう昨今だが、それらの出来事にすら人の数だけ、私の数だけ「出来事」が存在するのだろう。 ソレを処理する私、も「この私」の周りに無数に存在していくにちがいない。
そんな気が狂いそうな(笑)途方も無い精神論に、たまには頭を悩ましてみるのもいいのかも知れない。

キャラクターズ
新潮社
東 浩紀

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