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zoom RSS 『完全恋愛』 by 牧薩次

<<   作成日時 : 2008/12/23 14:39   >>

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他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ
では他者にその存在さえ知られない恋は 完全恋愛と呼ばれるべきか?

冒頭に掲げられたこの問いかけに私はどの切り口から応えたらよいのだろうか?
人の一生は短い。しかしそれを時代という背景と共になぞっていけば、その変遷に伴うあらゆる変化と、またそれに拮抗する心とが絡み非常にドラマチックな物語を生み出しうる。
本書の舞台は戦時中から終戦後さらには現代の平成。国も人も心も目まぐるしい変化した時代の流れにあって、究という少年は生涯かけて一人の少女に恋し続けた。
ひたすら恋い慕い続け、時には犯罪すら隠蔽し、彼女が嫁ぎ死して後もその娘すら愛し続ける・・・
大筋としては単純な筋書きのミステリーなのだ。 一人の男の少年時代から始まり、彼の恋と彼女の犯した罪があり、一夜の思い出を心の糧に、少年はただ一途に愛し続ける。大画伯へと成長して愛を隠したまま「何も知らずに」死んでいく。ただそれだけのセンチメンタルな物語・・・のはずだ。

しかし私は思う。これはあくまでミステリーであり、完全犯罪であり、完全恋愛の物語なのだと。
ここには完全恋愛と呼ばれるべき恋があり、それはけしてこの男の恋心だけを指すのではない。
彼女を愛した者がいたのと同じように彼女が愛した者も彼を愛した者も存在し、それを知る者も知らない者も存在しながら、誰一人としてその恋を語りだそうとはしないのだ。
事実はある。犯罪も死も憎しみも、子供という形すらとって愛の事実が現実に広がっていてそれらは皆に共有されている。
しかしそれでも彼らはそれらの事実を己の中に深く沈め、各々の舞台で「真実」として消化していくだけだ。
事実は一つ、真実は人の数だけ、いや、恋の数だけ存在する。ミステリーの常套句である。

みな、悲しいほどに事実をどこかで承知している。己の恋が彼にとって、彼女にとって事実であったのか真実であったのか、知るところであったのか否か・・・つまりは己の恋が完全恋愛であったのか否か。
その答えはこの物語に出会った、そして恋愛をしていく私たちが各々出していくべきなのだろう。
ただ一つ、ここにあるこの物語は一人の男が貫いた「愛」の物語ではない。
一人の男が生涯かけて貫いた「恋」の物語であり、彼のその恋をひたすら愛し続けた女の物語である。

優しい嘘と哀しい恋と、誰も見向きもしない事実と、己の心のみに忠実な真実を信じ続ける彼らの物語が幕を閉じる。



あさましやこは何事のさまぞとよ恋せよとても生れざりけり (源 俊頼 金葉和歌集)


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