■空蝉草紙■

アクセスカウンタ

zoom RSS 腐女子に捧ぐ 『帰らざる夏』 by 加賀乙彦

<<   作成日時 : 2009/02/09 09:26   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

著者には大変申し訳ない書評を一つ。これはあくまで脳みそ腐りきった腐女子の視点で見た感想文でございます。
人間葉動物だ。だから、極限状態に追い込まれるとなりふりかまわず本能にしたがって行動する。
特にそれが生死に関わることであればなおのこと、子孫を残すこと、生きること、ようするに「生」に執着し希求する本能を第一に、その欲にしたがって純粋に動くものだ。
歴史上、例えば戦国時代における明日もわからぬ戦地においてであるとか、そうした戦地に女っ気が全くない状態であるとか、女人禁制の寺社・修道院などであるとか・・・そうでなくてもかる〜く男子校とか(笑)

人は極限状態になると本能に従う。生をつなげるという最重要項を守るために何が何でも。
だから女がいなければ男を突っ込む相手(オイオイ)に見立ててでも作る、というわけではないけれど
人間は生きるということそのものが、愛するという行動に直結している・・・ということなんじゃないかと、ふと思う。

時代は第二次世界大戦。弱体ながら周囲の熱と従兄弟などへの憧れから難関の将校へと続く学校に入学し、弱体ゆえの苦鍛錬を少しずつ克服し、やがて立派な軍国主義者へと成長していく15の少年・章治。
彼の苦悩や先輩、同輩とのふれあいや論議、鍛錬の日々が前半に。敗戦を告げる「玉音放送」を皮切りに崩壊した彼らの信条と挫折、決起するものや殉死するもの・・・と混乱を極め愛した先輩・源ともに自決して幕を閉じるのが後半。

言ってしまえばそれだけのことなのに、描かれる主人公・章治の純粋無垢な愛国心は痛々しく、しかしそれに比例するように純潔一途に一人の先輩・源を憧れ恋い慕う姿は美しくて一点の曇りもない。
純粋に皇国を信奉し日本の勝利を大前提にした死を望む彼だが、その生が軽んじられるほどに源への愛は強く一途だ。
いや、生が軽いのではない。きっと彼は信じているのだ。皇国に身を捧げるということが至上の死に方であり同時に生であると、だからこそ彼の生=愛するということがこれほどに一途に、ひたむきで懸命なのだ。

お気づきだろうか? 章治は常に「抱かれる」「包まれる」ことを切実に求めている。
源の力強く大きな腕に抱かれるシーン、誤って崖から落ちていくシーン、そして・・・最期に源の後を追い腹を切り「巨人の安定した大きな掌の中で」意識が遠のいていくシーン・・・。

戦時中のあの熱狂の中、それは死が死と思われず生と死が等価値にすらなれずいつでも死ねる、死ななければならない時代。
そんな時代に己を包み込んでくれる大きな腕を、掌を希求するのはごく自然なこと。むしろ切実な本能からの願いだ。
世の腐女子諸君! ボーイズラブだ攻めだ受けだ鬼畜プレイだと騒いでいる場合ではない(笑)
本当に生死をかけた、本能から突き上げるように求めた愛が確かにあった。
人はこれほどひたむきに愛することが出来る。
人はこれほど純粋に生も死も求めることが出来る。
けれど、それは余りにも哀しい純粋無垢な生の上にあるのだ。

腐女子としてはいじらしいくらいに寸止め?な章治と源のやり取りに、またしょっちゅういろんな先輩から「稚児」扱いされる彼に苛立ちすら覚えるかもしれないが、私は許せる。
なんにしてもそんなことをものともしないほどに、彼の献身、その一途、純粋無垢な思いは哀しくも美しいのだから。


帰らざる夏 (講談社文芸文庫)
講談社
加賀 乙彦

ユーザレビュー:
等身大の少年を通して ...
戦争を知らないひとへ ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
腐女子に捧ぐ 『帰らざる夏』 by 加賀乙彦 ■空蝉草紙■/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる