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zoom RSS 『神々の捏造 イエスの弟をめぐる「世紀の事件」』 by ニナ・バーリー

<<   作成日時 : 2009/12/19 12:34   >>

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日本人は宗教心が薄いと言われるが、それは民族として、国家として、この国がいかに平和的な意味で好条件がそろっているかということと同じ要因を持つと思う。
無論日本にも数々の宗教的弾圧や痛ましいほどの殉教者がいたことは歴史の教科書を読めば解ることだが、少なくとも他国と戦争を起すほどの宗教戦争を、日本という国は経験していない。「日本人である」という自意識だけで日本人になれ、さげずまれることも争うこともないこの平和な国では、たとえ古墳の一つ、古代遺跡物の一つにどれほどの意味があろうと、またなかろうと・・・例えソレが真であれ贋であれ・・・せいぜいゴシップネタに世間を騒がすだけで殆ど多くの一般人にとって蚊帳の外である。数年前の「神の手」事件ですら一時紙面を騒がしたに過ぎない。
だから、今このときも宗教戦争の火種が耐えないイスラエルをはじめとする中東の、常に一触即発の緊張を保ち続けている情勢を真の意味で理解するのはおそらく無理だ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教・・・イスラエル人、ユダヤ人、アラブ人・・・。
異民族と異宗教が隣接するこの地で起きたたった一人の手による遺跡物偽造事件の発端から終結まで、
事細かな記録の経過を縦軸に、携わった人々とその繋がりを横軸に、他宗教に多民族という目まぐるしい舞台の上で繰り広げられた「世紀の詐欺事件」がドラマティックなまでに描かれる。
そして読者はまるで小説でも読んでいるかのような劇的な展開に驚嘆し、物語の結末とその発端(犯人)が誰であるかということに推理をめぐらし、何よりこの事件が人間である以上誰にも繋がっているという一つの真理に感心するに違いない。

それにしてもこれほどの大事件、日本では考えられない規模である。
国境も職業も民族も・・・宗教も超えて様々な立場の人間がこの事件に翻弄されていく。
聖遺物コレクターで大富豪のムサイエフ。フランスの考古学者ルメール、イスラエル古美術品ディーラーとして最大手のドイチェ。IAAそして刑事として聖地の盗掘防止に奔走するガノール、『聖書考古学レヴュー』の編集者シャンクス。
そして、この物語の中心となる類まれな聖遺物を所有するイスラエルの聖遺物コレクター、オデット・ゴラン。

そう、このゴランが所有していた聖遺物こそが様々な分野の専門家を手玉に取り世界中の話題をさらった「偽造品」なのだ。

作り出された贋物は「ヤコブ。ヨセフの息子、イエスの兄弟」と銘文が刻まれた「ヤコブの骨箱」である。たったこれだけの銘文の真贋が、イエス・キリストの人間性と実存性とを証明する重要な証拠となるらしい。
そしてこの骨箱が贋物であるとされたため芋蔓式にその偽造が発覚したのが、イスラエルが元来どの民族の地であったかを決定付ける唯一の証拠とされてきた遺跡物「ヨアシュ碑文」である。

物語を単純にいえば展開は簡単だ。
キリスト教とイスラム教とユダヤ教という同じイスラエルの地で覇権を争ってきた民族闘争に勝利者を決定付けるような証拠品(遺跡)が立て続けに世界に発表された。しかしそれは一人のコレクターによる偽造品であり、彼に巻き込まれた専門家はもちろん、メディアを通じて世界中に影響をもたらした「世紀の詐欺事件」として記憶に残ることになった。
これだけのことである。

が、著者はこの偉大なる聖遺物の真贋やその事件性について語るためにこれを著したわけではないだろう。
というのも、どの章でも(誰の立場、視点で描かれた事件であろうとも) 著者は彼ら関係者各々がどのような面持ちでこの事件に関わり、何を感じ、何を求めていたのかを丁寧にいっそ情緒的なほどに描いているからだ。


「人はみんな誰であれ、自分たちの過去に対して関心をもっているはずだ。あの骨箱とは、すべての人がつながっているのだよ」 ・・・第二章 刑事

「世界が今のように偶然と無秩序と混沌に翻弄されているように見えるとき、証拠を求めるのは、人の常ではないかと思う。なにかにすがりたい、と人は願うものだ。問題は、その何かがまがいものだ、あるいは間違っているとされた場合だ。・・・信仰とはなんなのか?医師や場所と結び付けられるようなものなのか?信仰とは、それほど外部的なものなのか?いや、もっと内面的なものなのではないだろうか?」  第三章 神の痕跡

彼は自らを、イスラエルの歴史に今まさに登場している人物であり、歴史を救うだけでなく、歴史の一部にもなれると考えている。そのうえ歴史上の人物はもちろんのこと、自分が棄集した遺物の、そもそもの製作者とも個人的な絆を感じるというのだ。  ・・・第4章 コレクター

「偽造文化」は層をなし、多面的である。それは血縁関係や階級制度、金品授受の観光、各種法律、専門用語、士法解釈、警察権力などを含むさまざまなもので構成され、大学教授、学芸員、科学者、美術館運営者や理事、ディーラー、密輸業者、オークション関係者、コレクター、そして偽造者当人までもが関与しているのだ。 ・・・第十章 だまされた人々

敬虔な信者にとっては、その古代遺物は偽造品だと証明されたとしても、すんなり結果を受け入れることはむずかしいに違いない。・・・学者たちが最新機器で調査して、絵資格に真贋を実証したとしても、逆にそれは信仰に生きる人々を、現代という時代から疎外するばかりなのだ。
偽造者は、国家的なプライドや鉄壁の信仰心より、もっと個人的な動機をもっていたはずだ。・・・歴史は永久不滅と言えても、人間の命には限りがある。・・・人間としてのはかない命が終わるまえに、なんとか古代の神殿の司祭や王と個人的につながりたい。彼らは、そう願っていたのかもしれない。   ・・・エピローグ 告発

日本ではほぼ定期的といっていいほど、それこそクイズ番組などではおなじみとして古代遺跡を特集したTV番組が放映される。(何も「世界ふしぎ発見!」のことだけを言っているわけではない(笑))

私たちは何故遺跡を発掘するのか?何故これほどまでに過去の遺物に興味をそそられるのか?
それは国や民族、信仰心的なもののためでもなく、金や名声のためだけでもなく、著者の言うようにもっと個人的で本能的で、根本的な欲求からきているのだ。
不安定な未来、いずれ終わるはかない己の人生に比べ、遺跡という名の「過去」は永遠性に充ちた揺るぐことのない「確かなもの」だ。少なくともそう信じている。だから「人間としてのはかない命が終わるまえに、なんとか個人的につながりたい」と願う。著者の言うとおり、もしかしたらオデット・ゴランはそうした極めて個人的な願望で自己満足のための寄る辺を製作しただけなのかもしれない。仏教徒が仏像を彫るように。

今、「歴史的」に信じられている真なるものを、改めて「物質的」にその真贋を問うことは、果たして意味のあることなのだろうか?
それは私という「日本人」である人間が、生物学的に「日本民族」でありひいては「人類」であるかどうか、という真贋を問うことと同じで、それが証明されたところで私にどれほどの変化があろうか?
(たとえその結果日本人でないことがしょうめいされたとしても)せいぜい驚き、戸惑い、もしかしたらショックを受けるだけであり、今までの「私」が人格的に「贋」であったかどうかということにはまったく関与しないはずだ。

歴史を紐解くことが重要なように、物質的な真贋を見極めることも無論重要なことであるし、今後もそうした調査は続いていくのだろう。そして聖遺物の偽造。それは一つのケースに過ぎない。

人間は常に過去を糧にし、今この時に対峙し、未来を築かなくてはならない。
歴史という過去、今という現実的かつ物質的世界。宗教と科学。人間と人類。
いずれは過去になり歴史という物語(HISTORY)になる後者らと向き合い続けている今現在を生きる私たちだからこそ、
本当の意味での真贋を自分自身に問いかけなければならない。
物質的ではなく、人間として、歴史を築くものとして、だ。


神々の捏造 イエスの弟をめぐる「世紀の大事件」
東京書籍
ニナ バーリー

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