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zoom RSS 『キャンセルされた街の案内』 by 吉田修一

<<   作成日時 : 2010/02/15 19:15   >>

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人の数だけ人生が在り出会いの数だけ物語が在り、生活の数だけ家が在り、そういうもので街は毎日更新される。
そこには老いも若きも、男も女も実に様々な人間が住んでおり、様々なドラマを繰り広げているのだが、実はその殆どは取るに足らない、ごく普通の出来事だ。
私はといえば、まあ、「若者」のうちにとりあえず入れてもらえるのだろうけれど、同じ若者とはいえ吉田修一の描く「若者」はいつもどこかつかみ所がなく、実に淡白で・・・彼らの紹介が実に難しい。
けれどそれが一層、リアルに感じられるのは実際の現実世界だって似たようなものだからだろう。

同じ電車に乗った男、毎日すれ違う女、友達の友達、隣に住む男、同僚、別れた恋人、たまに会う家族・・・
毎日顔をあわせている親密な人間同士だってわからない事だらけ。ましてや疎遠な人間、たまたま同じ場所で、同じ街で出会い、時を共に過ごしただけの人間同士が相手のことを「理解」なぞ、出来るはずがない。
それでも不思議なことに・・・。
そのほんのわずかな「関係」が、次に起こる何かの予感めいたものであることがある。
昨日が今日に、今日が明日に必ずつながっているように、きっとどんな些細な偶然も出会いも出来事も多かれ少なかれ何かを起しているのだ。エンドロールに名前すら出てこない「その他大勢」のギャラリーたちもそれぞれが生まれて今この時まで抱えてきた、膨大なドラマを必ず持っているのだから。
吉田修一という作家の描く物語はいつもそんな見えない奥行きを思い出させてくれる。
本来なら取り立てて題材にもしないであろうような出来事があり、そんな他愛もない出来事に一喜一憂する私たちが居る。
こうやってわざわざ取り立てて描き出さなければ誰も気にも留めないくだらない出来事や些細な物語が、「彼」にとってはこの上ない怒りであったり「彼女」にとっては言い尽くせぬほどの悲しみであったりする。そしてそれを優しく無視する街があり、そこに私たちは緩やかに住んでいる。生きている。

だから、たまにどうしようもなく訴えたくなるのだろう。
時には怒り、悲しみ、時には喜び。日常に埋もれてしまう些細な出来事に裏づけされた大きな感情のうねりをわかって欲しくてたまに爆発させたくなる、そんな感じがしてしまう。




キャンセルされた街の案内
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吉田 修一

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