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zoom RSS 俳優・藤田まことさん 逝去 昭和は遠くになりにけり。

<<   作成日時 : 2010/02/18 16:12   >>

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突然の訃報に驚くばかりである。

本なら小説でも漫画でも辞書でもかじりつく私だが、ドラマやアニメ、もちろん時代劇や刑事ドラマだって大好きだ。
私の中で 俳優・藤田まこと というと時代劇というよりは人情ドラマというイメージが強い。
私よりご年輩の方々(それこそ故人と同年代の方) 逆に私より若い20代のは 時代劇ドラマ「必殺仕事人」のせいか
時代劇役者といった感じがするらしい。
ちょっとかなしいことに それ以下の10代になると「知らない」という返答が多いかもしれない。
おそらくそのイメージギャップは年代によってなのだろう。

私がまだ実家で学生をしていたころ、刑事ドラマがやたら流行っていた。
ララバイ刑事なんてのもあったなぁ・・・と懐かしくなる。
とはいえ、我が家は田舎っぽさ、古臭さがかなり濃厚で、それこそ日曜夜は「笑点」にサザエさん」、「遠山の金さん」が流れ
最後のシメに『演歌の花道」で終わるという家だったもんだから 普通の家庭とはまたかなり渋いセンスだったかもしれない。
なので同級生とはなかなか話題が合わないという悲しい思い出も・・・。
なのであまり参考になるような環境ではないのでその辺はご容赦願いたい。(誰にだ?)
まあ、それはさておき。

今の若い人たちにしてみれば刑事ドラマといえば「踊る大捜査線」のように若い人気俳優が主役を務めるもの、
ノリと活気が溢れ、人気バンドが主題歌を歌うものを思い浮かべるのだろう。
もしくは司法的なものや弁護士モノも一緒くたにされるかもしれない。
(「BOSS」や「離婚弁護士」「カバチ」「交渉人」のように女性が主人公を務めるものが多い気がするのは気のせいか?)
どんなに人気が出ようと視聴率が高かろうと、こうした番組はシリーズも2ndか3rdで終わってしまう。
最近のロングランといえば『相棒』くらいだろうか。
要は若い俳優、人気俳優が主演を務めるドラマは人気こそあれ短命なのだ。
『はぐれ刑事純情派』は私の小学生時代、そしてようやくドラマなどをちょろちょろ見出す時期にちょうど始まった刑事ドラマだ。
1988年から2005年まで17年間、毎週水曜日に放送され続けた連続テレビシリーズ。
その名の通り純情で生真面目で頑固で義理人情厚い年輩刑事・安浦(藤田まこと)が主役の刑事。
彼は其々に「事情」を抱えた人々を取り巻く都会の事件を追うが、時には厳しく、時には犯人にも情けをかける。
いわば「3年B組金八先生」の刑事ドラマ版といった感じだろうか。
「刑事にも人情がある。犯人にも事情がある。」というのが番組当初のコンセプトだったらしい。

「金八先生」が時代と共にコンセプトがぶれ、対応できなくなった感があるのに対し 「はぐれ刑事〜」シリーズは
このコンセプトも、その中身も、主要登場人物(藤田まこと、梅宮辰夫、島田順司、真野あずさ)すらも変わらない。
そしてそれが不思議なほどどの時代でも「おかしくない」のだ。

「いまどきこんな先生いないよね」
金八先生を槍玉に挙げるつもりはないのだけれど、「先生(教師)」という立場は一般人に近く権力もない。
子供が気軽に友達のように接するフレンドリーな「先生」を描いたドラマが人気を博したせいもあるだろう。
何より私が思うのは、刑事という職が「警察」という別世界に囲まれた職業であるのに対して
先生という職は 子供も一般人も平気に立ち入り・口出しのできる「学校」の中にあるためどうしても馴れ合ってしまう。
馴れ合いは「聖職」とかつて呼ばれた権威をおとしめ、いまや「イジメ」の対象は先生自身になってすらいる。
(モンスターと呼ばれる親の出現も記憶に新しい。)

逆に警察はというと。
その中身も今日様々なドラマや小説、映画によって明らかにはなってきているのだろうが、それが本当なのかは謎だ。
これはドラマの中だけで、真実・実態は解ったものではないというのが一般人の見解だ思う。
もちろん「いまどきこんな刑事いるわけない」という声だって多いだろうけれど・・・
私たち一般人にはどうしても、警察=逮捕という連想が植えつけられているから、何も悪いことをしてなくたって
警官の前、パトカーや交番の前を通れば恐縮したりドキドキしてしまう。
だから、いつになっても警察という砦は崩れないし、刑事ドラマは廃れない。

さて、話が全然違う方向に飛躍してしまったのでこの辺で。

「昭和は遠くになりにけり」
この言葉を私は何度聞いてきただろう。
昭和を代表する役者、俳優・女優・歌手・・・もしくは政治家や小説家など、著名人が死去するたびに
私の父も母もTVの報道者も、口をそろえて「昭和は遠くに・・・」といったものだ。
が、ここのところあまりその言葉を聞かない。 昭和生まれの人が少なくなったとかそういうわけでは、まだないはずだ。
藤田まことはすでに昭和の人ではなく「平成の人」であるということだろうか?
それとも世間がすでに昭和という言葉にノスタルジーを感じなくなってしまったということだろうか?

懐メロ・アニメ番組を見ていても 両親がすでに知らないような番組が「懐かしの」番組にカテゴライズされているし
数年前に流行った曲があっという間に『懐メロ』にされてしまうのだからついていけない。

ファミコン世代で育った私なんぞは プレステが出るたびに 今でもファミコン「スーパーマリオブラザーズ」がやりたくなり
DSなど小型ゲームをやりながらゲームウォッチが懐かしくなるというのに・・・

でもこれは、消費の早さ、ブームの回転の早さ、短命さのせいだけではないように思う。
最近はネットという環境さえあればたいていのモノは手に入るというが、それはなにも形のあるものだけではない。
入手困難になった昔の収録や廃盤になった曲、故人の映像が無料動画で観ることが出来るし
復刻版のDVDによってビデオフィルムによる白黒映画も見事修復されて安価で出回っている。
そのため いわゆる「お宝映像」が宝ではなくなったからではなかろうか。

それがいいとか悪いとか言うわけではなく、誰でも見られるという点ではもちろん素晴らしいことだ。
わたしだってその恩恵にあずかっている。

けれど安易に手に入ることによってそれらが軽んじられてしまうというのはどうかとも思う。
人は手にいれてしまうと安心してしまうのだ。
それがいつでも手に届くところにあると思うと、知らずに価値を下げてしまう。
手に入ることはいい。 故人といつでもネットで会える、懐かしいドラマや映画をいつでも鑑賞できる、どんな音楽も
生まれ変わった高音質で聴く事が出来るのは素晴らしいことだ。
けれどそれが永遠にネットの向こうの誰かが保存していてくれると勘違いするのは、とても怖いことだと覚えておいて欲しい。

昭和は確実に遠くなっているし、今私たちが生きているこの平成もいつかは遠くなっていくのだから。

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