『雨の檻』 by 菅浩江

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恒星間宇宙船の一室でずっと暮らす少女シノと世話役ロボット・フィー。ここでは外の情報が遮断され、宇宙船の『中枢』により映し出された偽の風景が見えるだけだった。しかしシノの部屋の風景は『雨』しか写さなくなり、フィーは次第に狂いだす。
シノを愛し、懸命に尽くしてくれる母親代わりのロボット・フィーは『中枢』の分身である。シノは知らない。部屋の外が死の空間であること、彼女が最後の生存者…『中枢』の守るべき最後の子供であったこと、彼女はもう子供ですらない老婆ですらあったことを・・・
読み終えて、涙が出た。ただただホロリと、泣けてしまってどうしようも無かった。
シノは懸命に愛し尽くしてくれる母親のような存在であるロボット・フィーに、一生懸命笑顔を、愛を返そうとしている。
「自分が、この滑らかだけど人間じゃない生き物の存在理由そのもの、つまりは生きがいというものだと分かってから、シノは彼女のために元気な子供を演じようと思った。・・・いつまでも子供でいよう・・・でもそれはとっても疲れることなのだ」(18p『雨の檻』)
私にも思えがある。きっと誰にでも覚えがあるはずだ。
母親のために、誰かのために、必死になって甘え、困らせ、『何も知らない子供のように」無邪気に振舞うことがきっとあったはずだ。
その人の生きがいのために、存在理由となるために、自分を時には犠牲にしてしまう。シノはまさにフィーのために自分の成長を犠牲にした。この二人だけの空間で。時間を。
フィーが次第に狂っていく。フィーがそれまでとは逆にシノに甘え、「あからさまな愛情と思慕を」見せるようになるとシノは今度は自分が世話をしてやってもいいかな、と思うようになる。
「もう子供じゃないんだから」「子供のふりをしなくてもいいんだモノ・・・」
しかしその逆転してた平和すら、もう長くは続かなかった。フィーはいよいよ壊れ、『中枢』がとうとう直接真実を語りだす。
壊れた無菌室。開かれた外界。動き出した時間。
シノは自分を知り、自分のために外へ歩き出す。雨の檻から外の世界へ。
始めてみる鏡に映ったのは「少女」ではなく、一人の「老婆」。
・・・ まさに 「浦島太郎」だ。
そして最後に『中枢』の中の3人格、母と父とフィーというシノを愛する3人の自我は繰り返す。
「小鳥を飼う人間は、小鳥よりも幸せだろうか?」
ふつう、かごの中のとりは哀れであるとか自由でないとか、とかく負のモチーフとされがちだが、ここでは逆にかごに入れて小鳥を飼う人間、小鳥を守ろうとしてただそれだけで終わってしまう狂人にたいして幸せか?と疑問を投げかける形で終わっている。
かごを持つ人間は、かごの中の鳥を見ることに全てを捧げてしまう。他が見えなくなる。
そんな危険性を帯びた親『中枢』が、小鳥シノに取り残される。
とても切ない、悲しいほどにいとおしい物語だ。

雨の檻

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この記事へのコメント

2010年03月10日 23:47
空蝉さん、こんばんは(^^)。
『カフェ・コッペリア』の時にお勧め頂いた『雨の檻』、やっと読むことが出来ました。
淋しく美しく、そして暖かい物語、とてもよかったです。
菅さんの描く未来は、何かが歪んでいるけれど、美しく優しくて、こういう未来が来てくれるといいな、と思えますね。
2010年03月15日 18:05
遅くなりまして申し訳ないです;;
『雨の檻』なんであれが絶版!?というくらいに気に入ってるんですよね、私。
私が偶然、表紙につられて手にした本ですが・・・
可哀想とか悲しいとか、そういう安っぽい表現が出来ない哀切があって。水無月さんに読んでいただけて嬉しいです♪

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  • 『雨の檻』/菅浩江 ○

    Excerpt: 以前、菅浩江さんの『カフェ・コッペリア』を読んだ時、空蝉さんにお勧めいただいた作品です。 人間そっくりのロボットや世代型宇宙船などが出てくる、未来の話なのに何故か、郷愁漂う優しい物語達。 Weblog: 蒼のほとりで書に溺れ。 racked: 2010-03-10 23:45