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zoom RSS 大衆と個と。集団への埋没と。 『呼吸』 by 伊坂幸太郎

<<   作成日時 : 2005/11/05 03:16   >>

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 「馬鹿でかい規模の洪水が起きた時、俺はそれでも、
  水に流されないで立ち尽くす一本の木になりたいんだよ」
『魔王』の後編、『呼吸』の後半より一部分を抜粋した。
あくまで個人的な好き嫌いも含めての見解なのだが、小泉政権が絶対的な権力を行使している最近の政治に、私は正直辟易している。
小泉内閣の支持率は今なお健在、第三次小泉内閣支持率は53%へ9ポイント上がったというからあまり大きな声で不支持を叫べないのだが。 それでも私はこの支持率に疑問をぬぐえない。
一般的に日本人は「お祭り好き」「イベント好き」「流行に弱い」「ブランド好き」などといわれるがこれは何を表しているか? おそらく日本人は集団への埋没に弱いのだ。
その集団の中にいることで得られる安息、安全圏のなかに埋もれることで得られる安心、過大評価されることのない平均的な「普通」であることで得られる平和。自分が望んだとおりのステレオタイプ的な評価(ブランドというマニュアル化された評価)、そういったものを日本人は愛してしまう。
平和主義といえば聞こえが悪くもない。事なかれ主義というと都合が悪い。
そしてこの小説の中の一つの話題に憲法改正案(第9条について)があり、これと自衛隊のイラク派遣問題など現実に起こっている問題がそのまま小説内に反映されているあたり、こうした日本人の考え方・態度が外国からどう評価されているか、それにもやはり関係してくる。
 話を戻そう。ようは日本人は、「何か」が押し寄せてこない限りは事なかれ主義、現状維持、保守的なのだ。 だから特別な政治改革を望まないし、政権交代でゴタゴタするくらいなら今のままでもいいという諦めも入る。
日本人は諦めやすい。潔いとは違うと思う。きっと目標を低くすることで現状を甘んじて受けることを厭わない、諦念の民族なのだ。だから大衆が指差していうような不始末がない限り、おそらくこの小泉支持は続くだろう。 日本人はまさに大衆、集団の民族なのだ。 一致団結とも違う。一致団結とはきっと一人一人が集まり「一致」し行動することを言うのだろうが、おそらく日本人は違う。むしろ個が集まって集団(大衆)をつくるのではなく、大衆という仮想的なものがまずあって、それに溶け込むように個々が埋没する。そうして安息を得て日々をすごすのだ。
小泉政権が特別悪い、というわけではない。ただ現状のこの数字(支持率53%)が国民53%分から始まった意見ではないと思うのだ。 おかしな言い方かもしれないが、53%支持という数字が先にあって、その数字に国民の53%がくっついていく、そんな感じがするのだ。もちろん実際にはアンケート集計なり統計なりがあった後にはじかれた数字ではあるが、より心理的な問題として、私はそう思う。   「それでも水に流されないでたちつくす一本の木」はこの国にどれほどいるのか。
まさにこの小説は、私たち日本人に大きな疑問を呼びかける。
魔王
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