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zoom RSS 『春にして君を離れ』 by アガサ・クリスティ(メアリ・ウェストマコット)

<<   作成日時 : 2006/03/10 01:22   >>

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良妻賢母の主人公ジョーンが、単身旅行の帰り道、かつての学友と偶然会い、
一抹の不安を掻き立てられたことからすべてのものがひっくり返っていく。
自分の信じてきた夫、子供たち、家庭、過去、自分自身の落ち度の無い人生・・・すべて。
だれも死なない、殺人事件すらないこの作品は、ミステリー以上に心を切り裂くミステリーだと思う。
人間、だれもが過去を持っている。
自分が培ってきた人生経験や築き上げてきた人間関係、取り巻いてきた環境など、様々な過去を土台に今を生きているわけだ。
そして過去つまりは自分の歴史を肯定することで、今の自分をも肯定し、自分が何者なのかを確信する。
信じられないものが多いこの世界の中で唯一最も信じられるモノは何か。
自分が今生きていること、今考えていること、そしてそれを作り上げてきた過去=期成の事実である。変わることの無い既成事実が自分を安心させ、自信につながる。
しかしこの唯一頼れる過去とその自分が、実は信じていたものではなかった、としたらどうか。
この作品の主人公ジョーンはまさにそういうものだ。
真実であると思い込んでいた過去が次々と崩れていく。
過去が、自分が、家族である夫や娘たちが、次々と『本当の』姿を現す。

根底から覆されるという恐怖が、いかほどのものかと思い知る。

ここでちょっと脱線するかもしれないが、読んでいて思い浮かんだのは
『ウブメの夏』by京極夏彦である。(突拍子も無いかもしれないが。)
「見たくない」「認識したくない」と脳が拒否する目の前の現実を、人間はそれとしてみることが出来ないことがある。
それはきっと過去も同じで、知りたくない事実、認めたくない落ち度を人間は抹殺する。
認識せず、記憶から抹消し、無かったもの(こと)にすることが出来る。
なんとまあ、優秀な脳であることか。
『ウブメの夏』で、死体が「見え(認識でき)なかった」ように、この作品の彼女ジョーンもまた自分と他人との関係を、何事もない平穏無事な人生の中に埋没させてしまおうとする。
彼女が目をそむけようとしているのは、自分の知らない(もしくは目をそむけてきた)もうひとつの真実だ。
「事実はひとつしかない。しかし真実は人の数だけ存在する。」というのはよく言われる格言。
彼女の中で良妻賢母としてすごした平穏な結婚生活=家庭での『事実』は彼女の中で、彼女の真実として存在していた。
しかし彼女は気づいてしまう。自分の知らない『真実』があるのだということを。
そしてその真実の方がより事実に近いものだということにそろりそろりと気づきだす。
認めたくない自分と、真実を知ろうとする自分との葛藤。それが多くを占めている。

最終的に彼女が選んだ道は・・・ラストを読んでもらえば判ること。
しかしひとついえるのは、彼女はひとつの彼女を殺し、ひとつの彼女を選んだ。
血を流すことの無い、殺人の起きないアガサ・クリスティの作品。
しかし、ここにひとつの立派な殺人が、起こっていたのである。
ミステリファンにも期待を裏切らない、スリリングな小説だったと、思う。

春にして君を離れ
春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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