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zoom RSS 『向日葵の咲かない夏』 by 道尾秀介

<<   作成日時 : 2007/06/29 10:34   >>

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人間が物事を見て感じて「認識」する際、最初の立ち位置が間違っていると視点がズレる。
ミステリーではこの読者の認識を完全に騙してスタートする作品と、話を進めるにしたがって段々と混乱させていく作品とがある。道尾の作品は明らかに前者が多い。
そもそも自分が認識しているこの世界は本当に存在しているのか?彼は本当に「彼」なのか?私は本当にここに存在しているのか?そういう基本的な、最も根本的な認識・・・つまり何を始めるにも必ず必要となるベースの部分、共通の情報、基準点・・・そういうものがずっとあやふやなまま最後まで引っ張られるのである。
今回の『向日葵の〜』は特にその傾向が強い。何しろ誰が人間で、誰が「彼(だけ)にとっての○○」であるのか、誰が本当に存在しているのか?それが最大の謎、トリックなのだ。
主人公の小学生ミチオの言動に薄々気がつきながらも、私達読者はその実体が解らないまま事件の真相に目を奪われる。

終業式の日に小学校を休んだ同級生S君の家にプリントを届けに寄ったミチオ。そこで見たのは首を吊って死んでいるS君だった。先生と警察とが再び戻ると、なぜか死体は消えていた。
しかも家に帰ると妹と僕の前にクモに生まれ変わったS君が・・・彼は自分が殺されたことを訴え死体を捜して欲しいと頼みだした。事件の真相は???
足の骨を折り石鹸をくわえさせられるという犬猫の惨殺事件も相次ぐ。
岩村先生のポルノ癖、死体の足を折る異常犯罪者、精神異常をきたしている母、「純粋」な妹、猫を死んだ婆さんと思い込む家人・・・異常な世界と異常な人間が渦巻いている。
はっきり言ってこの物語にマトモな人間はいない(笑)ことごとく優しく壊れている。
皆、傷ついて傷つけて、自分の罪を隠すために都合のいい世界をつくり都合のよい東城神仏を「見立て」て誰もに優しく生きている。
ここには人間のしようもない2つの性癖が描かれている。

周りからの重圧、抑圧、孤独、憎しみに押しつぶされそうになるとき、人間は自分より弱いものへその負のパワーをぶちかます。排出する。弱いものははけ口として犠牲にされる。

自分の所業に非があると気がついたとき、それがどうしようもなく取り返しの付かない過ちであり責められるべきものであることと罪の意識にさいなまれる時、人間は往々にして逃げる。
自分の都合のよい周囲と世界とに逃げ込み、何も無かったかのように「日常」を生きる。

そうやって起こってしまった事件と、犠牲になった被害者と、そうせずに入られなかった加害者とが自分に優しい世界を守ろうと必死になっている。そんな話だ。
単純に読了後の感想を言うと、キモイ。おぞましい。狂ってる。
とりあえず私が私であることを心から願う。


ひとつネタバレを含めると・・・


道尾作品を読むときに常識や固定観念をもって挑んではいけない。
人間すら人間で無いかもしれない。彼は彼で、僕は僕で、妹は妹ではないかもしれない。
向日葵の咲かない夏
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