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zoom RSS 『ダーティ・ワーク』 by 絲山秋子

<<   作成日時 : 2007/10/13 10:48   >>

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私は短編集、特にオムニバスのような作品が好きだ。いくつもの人間が登場し、それぞれの人間がそれぞれの章で主人公(核)となり、彼らの目・立場から見た一つの時間が一冊の本の中で共有される。
ちょうどそれはこの世の中の構成の縮図だ。人の数だけ物語りは生まれ消えてをくり返し、そうしてこの世界は人口に比例して膨張したり縮小したりしているのだから。

この中に収められている物語群はどれも格別な人生でも特別な物語でもない、在りがちでともすれば私にすらダブるところがあって、平凡勝つ誰にでも身に覚えのありそうな・・・なんということもない物語である。

各章ごとに登場人物も場所も時間も少しずつずれていて、彼らの人生の一部分を切り抜いていたかのように淡々とさらっと描かれている。しかも大半が主人公達の悩みや苦しみを「解決」してくれてはいない。どれもあいまいだったり糸口を示唆するところで終わっている気がする。
しかし実際のこの世界上にある人生なんて、そんなもんじゃないか?
20年以上生きてきて、今まで「これが正しい答えだ!」なんて示されたことなんぞ数えるほどしかない。いや、あったのか?それすら危うい。それでも何かちょっとしたきっかけで、時には問題にぶち当たってから数ヶ月数年もして忘れた頃にふとしたことで「ああ、あのときのことはこんなことだったのか。な〜んだ。」と納得したり「ああ、そういうことだったのか、私がわるかったんだ」と反省したりすることは多々ある。母親との喧嘩・憎悪とそうしたことへの後悔・謝罪などは殆どがそれだ。子供の頃親に抱いた憎しみなどは、成長するにしたがって後悔に変わる。
ちょっと脱線した。 まあとにかく、どこかの国が作るハッピーエンドばかりの映画じゃあるまいし、現実の世界は「正しい解答」など存在しない。その代わりなんとなく共感したり理解したりされたりしているうちに悩みや痛みと上手く折り合いを付けて生きていく術を少しずつ身につけることは出来る。
この作品群に登場する人物達も、お互い出会い、別れ、また出会い、何かを共感したり学びながらどうにか突破口を見つけてのらりくらりとしながらも生きている。

こうした作品が多くの読者による賞賛を受けているということに対し、
「著者がいわゆる若者の心をつかんでいるからだ」とか「若者の心を上手くだいべんしている」
などと評価するのはナンセンスだ。
著者・絲山氏はきっと私達の根本にある、なまけものの、「人間ってそんなもんだ」ってとこを素直に感じ吐き出している、ただそれだけなのだ。
物語の多くの主人公達は「もうどーでもいいや」「もうどーにでもなれば」といった感じに半分投げやりになっている。そういう点を大人は批難するかもしれない。けれど人間ってそんなもんだろう?大切なものを失ったり、誰とも接点がなくなってしまったり、することやることが何もなくなってしまったり・・・すると、人間は止まる。投げやりにもなる。果ては人生を放棄すらする。

それでも生きていればまた出会いがあり、事件がおこり、時に人生で一番大きな仕事が降ってきたりする。最初と最後の章の主人公は、あんなにドーデモイイと諦め癖・・・というか面倒くさがり癖があったはずなのに、出産というドデカイ仕事をもらって、ドーデモイイどころじゃなくなった。きっとだれにでもそういうことが、そういう時がある。

正解が無くたっていいじゃないか、しようも無くてもいいじゃないか、なまけものでも投げやりでも、それが人間の、ひとりものの本性なんだから。
ようは「どーでもいいや」なんていってられないくらい、そうさせるほどの存在があるかないか、無ければとりあえずそいつに出会うまで生きてみよう、そんなとこからでいいんじゃないか。
そんな風に思えて、私は少しほっとする。この本に出会えてよかったと、ほっとする。
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