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zoom RSS 『メメント』 by 森達也

<<   作成日時 : 2008/11/14 11:55   >>

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メメントモリとメメント森・・・何の駄洒落だ?と思いつつ手に取った森達也の新刊。
中身は「死」にまつわるエッセイ(随筆)集、日々生活の中で、仕事の中で顔を出す死について意識的に取り上げたいくつもの場面を羅列した感が強い。
森氏の飼ってきた犬たちの死が随所に登場し、タイなど海外への取材や映画祭でのふとした出来事、日常的な些細な事件、伊坂幸太郎氏とのメール・・・時も場所も選ばないコラム集のような構成だが、死はどこにでも存在し、遅かれ早かれ必ず訪れる不可避の事実。これでよいのかもしれない。
ただ、死には様々な死がある。自殺に他殺、自死(アポトーシス)に壊死(ネクローシス)、事故死に寿命という自然死・・・つまりは自・他・必然・偶然という4大要素(というのは私が勝手に区切ったものだけれど)といくつかの諸要素の組み合わせに分類できる。自然死や偶然(事故)による死は別として、自他共に人の意思が働いている故意の死にたいしてよく「ハードルが高い・低い」という言い回しをするけれどつまり死は飛び越える=乗り越えるものであり障害物であり可能になるには条件が必要だということになる。
ハードル(障害物競走)を超えるために必要なのがスピードや筋力、勢いやタイミングであるならば、死を乗り越えるために必要なものは何か? 覚悟?思想?宗教?哲学? 
どんな形であれ、そこには既にある絶対的な死に対する抵抗があるはずだ。そしてそれは当然あっていいはずだ。
しかし私たちはどうだろう?この中途半端に平和ボケした日本で死のハードルを低くしているのではないか。
死というハードルに対峙してどう向き合っていくべきか、どう乗り越えるか、常に問い続けてきた人間の歴史が
いつしかハードルをいかにして低くするかに遁走している気がしてならない。
森氏が本作の中で幾度となく警告しているのは、敵や不安に怯えた集団心理と、その不安から逃れるために求め配信されたメディアによる単純化した報道と、そうして引き起こされる集団恐怖による暴走(スタンピート)だ。

「自らの死へのハードルの低下は、当然ながら他者の死へのハードルをも低下させる。・・・オウムのポアだってこれに該当する」

死へのハードルだけではない。リアルな世界のリアルな出来事への敷居を低くしてはいけない。どんなに高くともどれほど恐ろしくとも、個々がそれらに向き合い手探りで掴み取らなくてはならないのだ。なにしろ私たちは既に、そこに立って暮らしているのだから。

一冊の本としてはコラムの綴りに過ぎない気もするし、内容は無理やりしにこぎつけたように見えなくもない。
けれど、死とはそもそもそういうものだ。
人は死ぬ。必ず死ぬ。死はどこにでも可能性として大なり小なり必ず存在する。
だからこじつけでもいい。たとえこじつけだとしても必ず死は日常にどこにでも存在しうるのだというその事実を、本書はその構成自体をもって証明している。


メメント
実業之日本社
森 達也

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