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zoom RSS 『夏の水の半漁人』 by 前田司郎

<<   作成日時 : 2009/07/21 12:51   >>

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おそらくこれを読む人は「大人」だろう。何をもって大人と子供の間に線引きをするかはまあ、置いておいて。少なくとも11歳の誕生日を迎えた少年・魚彦、小学高学年程度の子供は普通手に取らないだろう。だから書いている著者は勿論、読む側である読者も大人のものである・・・が、しかし描かれている世界は、私たちがかつて子供の頃見ていた不思議と未知と不安と想像に溢れていた。

誕生日会、ドロケイ、友達の家、縁日、駄菓子、スーパーボール、裏山、魔法、砂浜で拾うガラスの欠片、館、悪者言葉、猛ダッシュ、あだ名、学校、友達、親、むかつく教師、女子、気になる女の子・・・
海彦と友人たちが遊ぶその世界を構成する諸々はかつて11歳の私を取り巻いていた世界そのもので、「大人」にとってはどれもこれもが懐かしい世界だ。・・・けれど、同時に暴かれる海彦という少年の心のうちは、喜怒哀楽が入り混じり、複雑で奇妙な色をした沼のように恐ろしい。海彦の心は「子供の憧憬」などという甘ったるい言葉からはかけ離れた、プライドに嫉妬、憎悪も苦悩も入り混じった感情で渦巻いており、溢れだすその感情ははけ口を見つけることが出来ずにもがいているー。だから彼は泥沼からフツリプツリとメタンガスのあぶくを吐き出す泥沼から目を放すことが出来ないのだ。

付いたり離れたり、優しくしたり冷たくしたり。何の根拠もなく自分は特別な人間なのだと心のどこかで信じていたあの頃。
友人が、他人が特別な人間になることも、自分がなおざりにされ自分以外の誰かに尊敬のまなざしが向いてしまうことを許せなかった純粋な虚栄心。どうしたら英雄になれるのか、どうやったら注目を浴びることが出来るのか、子供なりに必死に計算し行動していた、あの小賢しい日々。
彼らも、私も、毎日毎秒、すべての物事に一所懸命で真剣に挑み、遊び、悩み、学び・・・闘っていたのだ。
子供は大人になり、「あの頃はよかった」「子供は無邪気でいい」などと言うようになる。人はどうやら苦しいことや悲しいことはさっさと忘れて記憶を美化する達人らしい。
大人になれば手に入ると思っていた未知の世界は大人になれば手に入らない世界であることが解り、創造という力によって無限に広がっていた世界は有限になる。広がるどころか小さく狭くなった「大人」の世界で、大人は「子供時代」を悩みのない明るい世界に置き換えて羨望し、悩み多き今この時を自慰するための道具にしがちだ。「あの頃はよかったな」と。
けれど、本書は、子供たちは、そんな大人=私に訴える。

『いろいろなことを知れば知るほど、いろんなことがつまらなくなる』 魚彦

子供は可能性や道の世界を失う前の存在ではない。大人のように失ってしまった後の存在でもまたない。
少年は今、現在進行形で世界を失っているのだ。

私は本書にて、誰もが持っていて誰もがなくしてしまう、大事な宝物を見つけた。
世界と社会から毀れた砂利が堆積し、美化された記憶の地層のさらに下。
魚彦の愛する化石のように深く地面に埋もれてしまった、あの生々しい子供時代。
大人となった人間はそうしてあの時代を塗り固め、今立つこの地面を踏み固めてきたけれど、
この地面の下に、けして美しくも優しくも無い、ひたすら懸命に生きていたあの宝物があった。



夏の水の半魚人
扶桑社
前田 司郎

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