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zoom RSS 『悲歌』 by 中山可穂

<<   作成日時 : 2009/10/05 12:44   >>

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中山可穂という作家を語る上でレズビアンは欠かせない、などと思っていたら大間違いだ。本書は(多少同性愛的な要素があるにしても)その本質はただひたすらに愛である。性別も肉体も超えてなお余りある愛憎と、死と、再生・・・それらがそこここに現れる真っ赤な鮮血によってより一層劇的に描き出される。

<隅田川>
愛し合っていた女子高生二人が隅田川に入水心中し生き別れた事件をきっかけに、一人の女性カメラマンが誕生した。以来彼女は隅田川を撮り続けるが、マント姿の不審な男に呼び止められる。彼は心中した女子高生の父親で川の魔物から少女を救うためパトロールをしており、彼女も死にたがっているから止めたのだというが・・・。
<定家>
敬愛する亡き作家・我王の伝記を書き進める女性ライターは、うちに生前の彼と編集社の会長とその妻に男女のもつれがあったことを知る。親友でも会った二人の男と妻、3人の均衡は妻の死によって均衡が崩れ我王の感電死に不審をもつが、ある日彼女の元に会長が真実をつげに訪れる・・・。
<蝉丸>
名のある音楽家の破滅的な一家心中事件から生き延びた姉(逆髪)・弟(蝉丸)と、彼らを頼まれ見守り続けた弟子・博雅は深く結びつき共にバンドを組んで成長する。紆余曲折を経て蝉丸の両性具有的美しい歌声でもってバンドとして成功し始めた矢先、博雅の結婚にショックを受けた蝉丸が姿を消し全てが崩壊したかに見えたが・・・。

愛には様々な形がある。親子愛、家族愛、夫婦愛、師弟愛、兄弟愛、友愛、博愛・・・そして恋愛。様々な愛が本書の3編に交錯するが、どれ一つとして凡庸な愛など存在しないことを叫んでいる。
 身を投じ苦悩に果てた少女たちの血がバラの花となって流れ逝く隅田川。
 愛した男の血管が這いついているかのように女の墓に纏いつく赤いテイカカズラ(蔓)。
 自分を捨てた男の隣で血に染まり果てた母と、それを目の当たりにしつつ歌い続けた幼い息子。
同性愛ゆえの苦悩であるとか、愛の形の違いであるとか、そうした言葉では著しきれない痛みでもって彼ら彼女らは血を流す。私は、これほど美しく血反吐を吐く作品を、知らない。

ではなぜ中山の作品に登場する彼らはこれほどまでに血を流すのか。それはきっと彼らがクリエイターという生み出す者であることが無関係ではない。 出産の苦しみは誰もが知るところだが、彼らは写真家であり小説家であり音楽家であり、それ以前に人間として人を魅了して止まない魅力を生み続けている。
生み出すものは無意識のうちでも「エサ」を惹きつけ見も心も吸い尽くし、さらに己の身をも削って作品を生み搾り出す。
エサは彼らを愛し身も心も全て投げ打つだろう。彼らはそんなエサを愛し同じく身をもって愛を返すのだろう。

血を流してばかりの愛だけれど、おそらく読者はそれを消耗するだけの不毛な愛であるとは思はない。
人は愛を捨てられない。捨てられるそれは愛とは言わない。そのことを最終章『蝉丸』が証明してくれる。
帰る場所も家族も結婚も、安定と安心という安らぎ全てを捨て去ってでも捨てることの出来ない愛を探して博雅は蝉丸を「探し回った」。最後の最後に、過去形で終わっている。
そう、過去形なのだ。探した果てに彼がどうしたのかどうなったのか、それは本文中には書かれずに物語は終わっている。
けれどもう、十分だ。
この物語から流れ出る血を飲んだ読者はすでに、その結末を知っている。
ほんとうにもう、十分だ。



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中山 可穂

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